2011年12月2日金曜日

アルセーニイ・タルコフスキー著『白い、白い日』(前田和泉 訳)刊行


 このたび本学の前田和泉先生が翻訳し解題を書かれた、アルセーニイ・タルコフスキー詩集『白い、白い日』が刊行されました。

著者:アルセーニイ・タルコフスキー
翻訳:前田和泉
写真:鈴木理策
編集:落合佐喜世
デザイン:須山悠里
エクリ 2011年10月3日
本体2500円・B5判変形・並製本・仮フランス装・94頁

 前田先生の解題によると、詩人アルセーニイ・タルコフスキーは、映画「惑星ソラリス」「鏡」「ストーカー」「ノスタルジア」「サクリファイス」などの監督として有名なアンドレイ・タルコフスキーの父親です。アルセーニイの詩は「鏡」「ストーカー」「ノスタルジア」のなかで朗読され、彼の「極めて私的で繊細な抒情性」と「汎生命論的な独特の世界感覚」は、これらの映画の特異な世界観を支えていました。
 今でこそ、ロシアにおいてこの詩人の名を知らぬ者はいない、とまで認知されるようになりましたが、不遇の時代は長かったようです。共産主義政権下はまさにその時代でした。アルメニア、グルジアなどの詩の翻訳をしながら生計を立て、詩作に励んでいたようです。はじめての詩集が出版されたのは55歳になってからでした。

 処女作を上梓した年齢を知り、まず私が思い出したのが詩人T・S・エリオット(1888-1965)の一節でした。「二十五歳をすぎても詩人たることをつづけたい人なら誰にでもまあ欠くべからざるものといってよい歴史的意識を含んでいる」(「伝統と個人の才能」)。若いときには誰でもみずみずしい感情が溢れ、それだけで詩が書けるときもあると言います。けれども、年を重ねるにつれ、そうした感情だけでは書きつづけられないことに気がつきます。そのとき必要なものとは何なのでしょう? エリオットは「歴史的意識」であると語ります。翻訳によって日々の生きる糧を得、詩を発表する場さえも与えられなかった苦難な時代、それこそがアルセーニイ・タルコフスキーにとっての「歴史的意識」のひとつだったのかもしれません。

 本書は、造本も繊細で美しく、本文に挿入されている鈴木理策氏の写真も、詩と非常にマッチしています。皆さんもこの本をきっかけにタルコフスキーの詩の世界に触れてみてはいかがでしょうか?

■著者紹介:
アルセーニイ・アレクサンドロヴィチ・タルコフスキー
 1907年、エリサヴェトグラード(現ウクライナ)に生まれる。新聞社やラジオ局での勤務を経た後、30年代からは主として翻訳で生計を立てる。第二次世界大戦中の41年、志願して従軍し、43年に前線での負傷がもとで左脚を切断。62年、初めての詩集『雪が降る前に』を出版して遅咲きの詩人デビューを果たすと、以後、堰をきったように『地のものは地に』『使者』『冬の日』『自分自身であること』『アラガツ山にまたたく星々』など多数の詩集を発表。89年、モスクワ郊外の病院で死去。私生活では、28年にマリヤ・ヴィシュニャコワと結婚し、一男一女をもうけた後、37年に別の女性アントニーナ・ボーホノワと暮らし始めるが(マリヤとの正式な離婚は40年)、50年に再び離婚し、翌年、翻訳家タチヤナ・オゼルスカヤと再婚。なお、最初の妻マリヤとの間に生まれた長男がアンドレイ・タルコフスキーである。

■訳者紹介:
前田和泉(まえだ・いずみ)
 神奈川県生まれ。東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。現在、東京外国語大学准教授。専門は20世紀ロシア詩。著書は『マリーナ・ツヴェターエワ』(未知谷、2006)。共著に『詩女神の娘たち』(沓掛良彦編、未知谷、2000)。訳書に、アンドレイ・クルコフ『大統領の最後の恋』(新潮社、2006)、リュドミラ・ウリツカヤ『通訳ダニエル・シュタイン』(新潮社、2009)などがある。



(後藤)


2011年11月24日木曜日

『〈アラブ大変動〉を読む──民衆革命のゆくえ』刊行記念トークイベント開催



※現在、お申込み受付中です。
 お申込みは、ジュンク堂書店新宿店(03-5363-1300)
 までお電話ください。
 当日券も発行する予定です。

 11月25日(金)19:00から、ジュンク堂書店新宿店8階にあるカフェで、『〈アラブ大変動〉を読む』の刊行を記念してトークイベントを開催します。

 題して「民衆革命の実状と未来」。民衆運動を発端にアラブ世界は、ますます混沌の色を深め、いまだ目が離せない状況がつづいています。本書の編著者・酒井啓子先生(本学教授)と社会学者の吉見俊哉先生(東大副学長)が、マスメディアが伝えない現在のアラブ、また民衆革命後の歓喜と苦悩、そして未来について縦横に語ります。

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『〈アラブ大変動〉を読む──民衆革命のゆくえ』(本学出版会)刊行記念
「民衆革命の実状と未来」

酒井啓子×吉見俊哉

■2011年11月25日(金)19:00〜20:30(開場18:30〜)

◆講師紹介◆
酒井啓子(さかい・けいこ)【イラク政治史、現代中東政治】
 1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。東京外国語大学総合国際学研究院教授。アジア経済研究所を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』(岩波新書、2002)、『フセイン・イラク政権の支配構造』(岩波書店、2003)、『イラクは食べる』(岩波新書、2008)、『〈中東〉の考え方』(講談社現代新書、2010)ほか。共編著に『イスラーム地域の国家とナショナリズム』(東京大学出版会、2005)、『中東・中央アジア諸国における権力構造』(岩波書店、2005)ほか。

吉見俊哉(よしみ・しゅんや)【カルチュラル・スタディーズ】
 1957年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東京大学副学長。著書に『都市のドラマトゥルギー』(弘文堂、1987/河出文庫、2008)、『博覧会の政治学』(中公新書、1992/講談社学術文庫、2010)、『メディア文化論』(有斐閣、2004)、『万博幻想』(ちくま新書、2005/講談社学術文庫、2011)、『親米と反米』(岩波新書、2007)、『ポスト戦後社会』(岩波新書、2008)、『天皇とアメリカ』(共著、集英社新書、2010)、『書物と映像の未来』(岩波書店 2010)、『大学とは何か』(岩波新書、2011)ほか。

◇会場 ジュンク堂書店新宿店 8階カフェにて
◇定員 40名
◇入場料 1,000円(1ドリンク付き)
◇参加ご希望のお客様は7Fカウンターにてお申し付けください。
電話でのご予約も承ります。
お問合わせ先:ジュンク堂書店新宿店 電話:03-5363-1300
http://www.junkudo.co.jp/tenpo/evtalk-shinjyuku.html#20111125shinjuku


2011年11月11日金曜日

本学附属図書館特別展示と講演会のご案内


 11月18日(金)から12月25日(日)にかけて(11/19、20、23、12/23は除く)、第12回特別展示「戦前・戦中・占領期 激動の時代の日本語教育──長沼直兄(なおえ) の仕事を中心に」(主催:本学附属図書館/協力:学校法人長沼スクール東京日本語学校、本学国際日本研究センター)が、図書館2階のギャラリーで開催されます。


 本展示は、学校法人長沼スクール東京日本語学校から寄贈された戦前、戦中、戦後に国内外で用いられた貴重な日本語教育資料286点の中から、日本を取りまく国際社会や国策が大きく変わるなか日本語教育に並々ならぬ情熱を傾けた長沼直兄(1894〜1973)の仕事を中心に紹介します。

 なお、12月9日(金)の午後4時(〜午後5時30分)から、河路由佳先生(本学大学院総合国際学研究院教授)による講演会「アメリカ・日本・アジアのはざまで──日本語教育者・長沼直兄の「激動」の戦前/戦中/戦後」が、本学研究講義棟101教室で開催されます。長沼の業績を振り返りながら、外国語話者へ日本語を教えることの意味を考えます。

 展示と合わせて講演会にもぜひ足をお運びください。

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★東京外国語大学附属図書館 第12回特別展示
「戦前・戦中・占領期 激動の時代の日本語教育──長沼直兄(なおえ) の仕事を中心に」
■期間:
2011年11月18日(金)〜12月25日(日)※11/19、20、23、12/23は除く
■会場:
東京外国語大学附属図書館2階ギャラリー
■展示時間:
平日 9:00〜21:45 ※11/18、21、22、24は17:00まで
土日 13:00〜18:45 ※入館は終了15分前まで
※入場無料

★東京外国語大学附属図書館講演会
「アメリカ・日本・アジアのはざまで──日本語教育者・長沼直兄の「激動」の戦前/戦中/戦後」
■講演者:
河路由佳(本学大学院総合国際学研究院教授/日本語教育学)
■日時:
2011年12月9日(金)16:00〜17:30
■会場:
東京外国語大学研究講義棟101教室(マルチメディアホール)
※入場無料

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●アクセス:
・中央線「武蔵境」駅にて西武多摩川線に乗換。「多磨」駅下車徒歩5分。
・京王線「飛田給」駅北口多磨駅行きバスで約10分。「東京外国語大学前」下車。
http://www.tufs.ac.jp/access/tama.html
●お問合せ先
附属図書館総務係
TEL:042-330-5196
e-mail:tosho-soumu@tufs.ac.jp

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2011年11月7日月曜日

『〈アラブ大変動〉を読む──民衆革命のゆくえ』刊行記念トークイベント開催


 11月25日(金)19:00から、ジュンク堂書店新宿店8階にあるカフェで、『〈アラブ大変動〉を読む』の刊行を記念してトークイベントを開催します。

 題して「民衆革命の実状と未来」。民衆運動を発端にアラブ世界は、ますます混沌の色を深め、いまだ目が離せない状況がつづいています。本書の編著者・酒井啓子先生(本学教授)と社会学者の吉見俊哉先生(東大副学長)が、マスメディアが伝えない現在のアラブ、また民衆革命後の歓喜と苦悩、そして未来について縦横に語ります。

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『〈アラブ大変動〉を読む──民衆革命のゆくえ』(本学出版会)刊行記念
「民衆革命の実状と未来」

酒井啓子×吉見俊哉

■2011年11月25日(金)19:00〜20:30(開場18:30〜)

◆講師紹介◆
酒井啓子(さかい・けいこ)【イラク政治史、現代中東政治】
 1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。東京外国語大学総合国際学研究院教授。アジア経済研究所を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』(岩波新書、2002)、『フセイン・イラク政権の支配構造』(岩波書店、2003)、『イラクは食べる』(岩波新書、2008)、『〈中東〉の考え方』(講談社現代新書、2010)ほか。共編著に『イスラーム地域の国家とナショナリズム』(東京大学出版会、2005)、『中東・中央アジア諸国における権力構造』(岩波書店、2005)ほか。

吉見俊哉(よしみ・しゅんや)【カルチュラル・スタディーズ】
 1957年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東京大学副学長。著書に『都市のドラマトゥルギー』(弘文堂、1987/河出文庫、2008)、『博覧会の政治学』(中公新書、1992/講談社学術文庫、2010)、『メディア文化論』(有斐閣、2004)、『万博幻想』(ちくま新書、2005/講談社学術文庫、2011)、『親米と反米』(岩波新書、2007)、『ポスト戦後社会』(岩波新書、2008)、『天皇とアメリカ』(共著、集英社新書、2010)、『書物と映像の未来』(岩波書店 2010)、『大学とは何か』(岩波新書、2011)ほか。

◇会場 ジュンク堂書店新宿店 8階カフェにて
◇定員 40名
◇入場料 1,000円(1ドリンク付き)
◇参加ご希望のお客様は7Fカウンターにてお申し付けください。
電話でのご予約も承ります。
お問合わせ先:ジュンク堂書店新宿店 電話:03-5363-1300
http://www.junkudo.co.jp/tenpo/evtalk-shinjyuku.html#20111125shinjuku

2011年9月22日木曜日

北海道札幌市「書肆吉成」──書肆探訪④


 このたび取材に訪れたのは、「書肆探訪」第二回でご紹介した「しまぶっく」(東京都江東区)につづく古本屋「書肆吉成」です。「書肆吉成」は今年で開店5年目をむかえた札幌の古書店です。店主の吉成秀夫さんは、1977年に北海道斜里郡清里町で生まれた生粋の道産子。高校卒業と同時に札幌に引っ越し、1997年に札幌大学文化学部に入学されます。そこで運命的な人と本との出会いがありました。この出会いの数々がなければ、「本とのかかわりはもっと希薄なものとなっていたし、ましてや古本屋さんには絶対になっていなかった」とのちに吉成さんは述懐されています。吉成さんはいったいどのようなきっかけで書物の魅力にひき寄せられ、古本屋を営むことにいたったのでしょうか。また、古書店が発行する定期刊行物のなかで極めて異彩を放っている「アフンルパル通信」は、いったいどのような過程をへて刊行されるにいたったのでしょうか。札幌古本界の旗手・吉成秀夫さんにそのあたりのお話をうかがってきました。


本に魅せられたきっかけは?
 書物との出会いの前には、かならずと言っていいほど、まず人との出会いがあると勝手に思っています。なぜそう思うのか? じつはわたしにもそんな出会いがあったからなんです。その当時、札幌大学文化学部の学部長を歴任されていた文化人類学者山口昌男先生との出会いです。

 わたしは1997年に札幌大学文化学部の一期生として入学しました。そのとき文化学部の根幹の講義として山口先生の講義がありました。この講義のテキストにはホイジンガの『ホモ・ルーデンス』(中公文庫、1973)が指定されていたのですが、山口先生は興味の赴くままに縦横無尽に話されていたように記憶しています──このときの講義は『学問の春』(平凡社新書、2009)として刊行されています──。
 これが山口昌男先生との関係がスタートした瞬間でした。

 山口先生は昭和6年に北海道美幌に生まれ、網走南ヶ丘高校の前身である網走中学を卒業しましたが、この学校はじつはわたしの母校でもあるんです。あとで知ったことなんですが、山口先生はわたしの遠い大先輩だったんです。山口先生は、東京都立大学(現首都大学東京)の大学院で人類学を馬渕東一氏から教わって、アフリカのナイジェリアにあるイバダン大学で教鞭を執り、そのあとアフリカをフィールドに山口人類学をますます深化させます。こういったプロセスのなかから名著がつぎつぎ生みだされます。たとえば『人類学的思考』(せりか書房、1971)や『本の神話学』(中央公論社、1971)、そして『道化の民俗学』(新潮社、1975)などです。これらはどれもこれまでみたことも聞いたこともない知識を駆使した稀有な書物でした。

 わたしは、山口先生が主宰する読書会に参加しながらこれらの著作を読んでいきました。山口先生を媒介に接したこれらの書物が、いまのわたしを形づくっています。なかでも特に書物への扉を大きくこじあけてくれたのが、その当時ちくま学芸文庫から出ていた山口先生の主著『道化の民俗学』(1993)でした。
 この本では、古今東西さまざまな笑いを振りまく「道化」や「トリックスター」が文化史としてではなく民俗学として描かれていました。つまり日常生活を「物語」と「社会構造」がまざりあった文化としてとらえる手法で書かれてありました。道化はありとあらゆる失敗をするのですが、そういう存在こそが、価値観の固定化した社会を揺るがし、これまで気づかなかった別の側面をみせ、文化を活性化させる貴重な役割を果たしている。そのことがこの山口先生の本にはとても力強く書かれていたんです。こんな痛快な読書はそれまで体験したことがありませんでした。

ヤマグチワールドからブックコスモスへ
 そのあとも青森まで山口先生といっしょに寺山修司のシンポジウムに行ったり、いろいろと貴重な体験をさせていただきました。ヤマグチワールドにどんどん入っていき、本の世界にも引きこまれていった時期でした。

 山口先生が中心となって、毎回多彩なゲスト講師を招いて開催された札幌大学北方文化フォーラムも欠かさず出席し、文化の中枢を担う人たちの講義を聞いていました。柳瀬尚紀さん、内田繁さん、宮内勝典さん、松岡正剛さん、秋山祐徳太子さん、原広司さん、西谷修さん、安彦良和さん、多和田葉子さん、ノーマ・フィールドさん、柏木博さん、田中泯さん、種村季弘さん、細江英公さん、巖谷國士さん、岡本敏子さん、管啓次郎さんなど、いま思いだせるだけでもこれだけの方がいらっしゃっていました。これがきっかけとなって出会った本もかぞえきれないほどあります。

 そして毎日のように札幌大学にある山口文庫──山口先生の蔵書6万冊を集めた文庫です──に入りびたり、お昼休みに山口ゼミにも参加し、夏休みにはゼミ合宿。本当にたのしい学びのときを過ごしました。このような勢いで毎日を過ごしていると、身の回りがいつのまにか書物で溢れかえります。いつしか本が名実ともに身近なものになっていきました。

古本屋たちあげの契機とは?
 こうした書物三昧の日々を送っていくなかで、「古本としての書物」が、にわかにわたしに迫ってくる出来事がありました。それは北方文化フォーラムに、評論家の坪内祐三さんと古書店「月の輪書林」の店主高橋徹さんが講演に来たときでした。そのとき高橋さんは緊張していたのか、坪内さんばかりが話を進める不思議な講演でした。次の日、山口先生と坪内さんと高橋さんとで、当時札幌駅のすぐ近くにあった「そごう」で開催されていた古本市に行きました。わたしにとっては生まれてはじめての古本市。張りつめた空気のなかで古本が売り買いされているさまは、まるで賭場にいるかのようでした。わたしはその雰囲気にすっかり舞いあがってしまいました。けれども山口先生、坪内さん、高橋さんにとっては主戦場です。百戦錬磨です。お目当ての本を、それこそ獲物をしとめるハンターのように射止めていきます。わたしも本を手にとりめくったりもするのですが、おもしろそうだとは思いつつも自信がありません。また元の位置に戻してしまう。あとになって喫茶店で「戦利品」を見せあうのですが、そのとき坪内さんが「君、この本に見覚えある?」と、先ほどわたしが手にしていた本を見せてきました。「はい、あります」とこたえると「この本は、コレコレこういう本で、なかなかいい本だったんだよ。きみが買わないから、結局はぼくが買ったんだけどねぇ」といわれてしまい、口惜しい思いもありながら、ほとほと感心してしまいました。

 わたしがもともと抱いていた古本への強い関心と憧れが引きがねとなってしまったのか、そのお話のときに衝動的に「ボクも将来古本屋さんになりたいです!」と宣言してしまいました。けれども坪内さんと高橋さんは、「わるいことはいわないから、それだけはやめたほうがいい!」という。喜んでくれると思っていたわたしはとても驚きました。しばらく経ってわたしは「みんなは、おもしろそうに本の世界でワイワイやっている。にもかかわらず、ボクがそれに加わろうとすると止めようとする。これにはなにかウラがあるに違いない。秘密にしなければならないほど、きっとこの世界はどんなにか楽しいにちがいない」(笑)と思うようになりました。そんな出来事があって、わたしはますます古本に惹かれていきます。いま思えばこのときの坪内さんと高橋さんとのやりとりが古本屋を生業とする大きな一歩となりました。こんなやりとりを山口先生はニコニコ微笑みながら見ていました。

書物と群島
 札幌大学でもうひとり大きく影響を受けた方がいました。今福龍太先生(現東京外国語大学大学院教授)です。わたしのなかであたらしい世界の扉がドドドッと音を立てて開かれていきました。今福先生の思想は、既成概念やステレオタイプな思いこみ、または虚飾やエゴみたいなものを脱ぎ捨てます。さまざまな社会状況に苦しむ人びとの文学をとおしていろいろ考えさせられもしました。「書物こそが人間の実存と歴史を真正面から受けとめる媒体だ」と強く思ったのを憶えています。

 今福先生は、わたしが大学を卒業した翌年(2002)から「奄美自由大学」をはじめました。これは奄美群島を巡って、島に生きる知恵を体感する移動学舎として、おおよそ年に一度開催されています。三回目の奄美自由大学のときです。奄美大島の網野子という集落での出来事でした。そこの海に面した広場で朗読会をおこなったことがありました。そのとき、わたしは手もちの古本を堤防に並べて露店の古本屋を開きました。すでにこのころには札幌の「伊藤書房」という古書店で独立を目指して修業をしはじめていました。自分の古本屋を奄美からスタートさせようと思ったんです。ただ本はものすごく重いですし、強い日ざしや水にも弱い。本と海と太陽……。一見するととても不釣りあいです。ですが、そのときなんとも気持ちのよい風がフワーッと流れてきたように感じました。会場にあった力石とガジュマルを囲んで聴こえる島口、そしてそのときゲストとしていらっしゃったトリン・T・ミンハさんと高良勉さんらの朗読の声、これらがとても本とマッチしていたのです。本にとっては過酷な環境であるにもかかわらず、本と太陽と海と風と声が、なぜこうも気持ち良く重なりあったのか……。これはいまもって分かりません。これからも本とかかわりながら生きていくわたしにとって、あの瞬間は謎であって、でもこれからの目標のようなものでもあって、夢みたいなものです。ああいった場をいつかつくりたいと思っています。

 
撮影:濱田康作

いよいよ「書肆吉成」が開店
 「書肆吉成」という名前は、詩人の吉増剛造先生につけていただきました。吉増先生は、年に一回、札幌大学に集中講義にきてくださっていました。わたしは大学を卒業してからもニセ学生(笑)として毎年聴講しつづけました。吉増先生は奄美自由大学にも毎回ゲストとして参加されていたので、札幌と奄美とで最低でも年に二回はお会いしていました。そんなあるとき、古本屋として独立したいと、先生に告げました。とても心配していただき、それだけでなく、さまざまなご助力もいただきました。これは本当に光栄なことで、尊敬する詩人に名前をつけていただいたのですから、名に恥じぬ店にしなくてはとわたしも必死です。大げさにいってしまえば、店の実態など問題ではなくて、むしろ「書肆吉成」という名前のなかにこそ本屋魂が宿っている! そうわたしは思っています。このご恩、いつかお返ししたいと思っています。

 店舗を札幌にかまえたのは2009年です。それまではネットでの販売を中心としていました。お店の広さは25坪で、だいたい4万冊を本棚にならべて販売しています。特徴的なのは、アイヌ関連や北方文化関連を多く取り揃えているところです。特におすすめするのは写真集・建築・書道に関する本で、在庫が豊富です。けれども基本的には専門化してお客様を限定したくないと思っています。それは本の広大な世界への入り口になりたいと思っているからです。来る本こばまずで、オールジャンルの本を取り扱っています。お客様は、ご近所の方よりも本を探し歩きまわったうえで弊店にたどり着かれる方が多いように感じます。みなさん、町の中心部から離れていて交通機関も不便な場所にある弊店まで、わざわざ足を運んでくださるんです。さながら本を探す旅人のような方ばかりです。本当はもっと街中に店を出したいのですが、経費を考えると足踏みしてしまいます。しばらくはこの場所で、在庫のさらなる充実をはかっていきたいです。売上げはまだまだネット販売依存型です。インターネットの世界は場所性がなくどこでも商売や情報発信ができるので、うまく利用しながら店舗と両立させていきたいと考えています。

 札幌市内の古本屋の状況はまことにかんばしくありません。昨年から今年にかけて、札幌市内の古本店舗が5つも閉まりました。いずれもネット専門に切り替えたのですが、一気に5店も減ったのはとてもショックでした。現在の人口が約190万人の札幌市で、大手量販店をのぞき、店舗をもつ古本屋はおおよそ20店、そのうち古書組合加盟店は15店です。まったくさびしい限りです。
 経費のかかる店舗を閉めてインターネット通販専門に切り替えるのは全国的な傾向です。店主の高齢化と、業界の先が読めない由の後継者不足やインターネットの普及が要因といわれています。逆にネット専門から実店舗を開店させるお店は少ないです。わたしは確信犯的に時代に逆行して店舗を開きました。どうしてもお客様と本がじかに接する場所を持ちたかったからです。
題字:吉増剛造

「アフンルパル通信」刊行のきっかけは?
 さて、わたしが古本屋のかたわら編集している「アフンルパル通信」も、じつは吉増剛造先生とのかかわりのなかから生れました(本当にお世話になりっぱなしで……)。札幌大学でおこなわれた吉増先生の講義のなかで、知里真志保『地名アイヌ語小辞典』の「アフンルパル」が紹介されているのを、たまたま聞いたのがきっかけでした。「アフンルパル」とは「あの世への入り口」という意味のアイヌ語地名で、登別(のぼりべつ)の蘭法華岬(らんぽっけみさき)のつけ根にあります。アイヌの人たちにとってタブー視されている穴で、近寄ってはならない神聖な場所とされています。このような大切な土地が北海道にあるということをはじめて知って、わたしは道産子ながら心底驚きました。雪どけをまって友人たちとその場を訪ねたりもしました。これが「アフンルパル通信」のはじまりです。創刊号には吉増先生が写真と詩をお寄せくださり、「書肆吉成」独立開業と同じ2007年4月に創刊することができました。

 「アフンルパル通信」は「旅」と「詩」と「本」をテーマにした冊子です。これまで詩人や映像作家、文学研究者、写真家などたくさんの方々からご寄稿いただきました。最近は道内外からも静かな注目を集めているようです。人にはよく「もっと北海道に拘りなさい」といわれます。けれどわたしは北海道発の冊子だからと言って北海道カラーを前面に押し出すことに興味はありません。もともと「北海道」は近代に作られました。北海道内外の人の移動や緊張関係があって形作られた土地なんです。ですから、この土地の内側だけを意識化するのでは不十分だと思っています。外からの視線、外との関係や応答を考慮しないと本当の「北海道」の姿は捉えられないと思っています。地元を特権化する北海道至上主義とは一線を引いて、二つの土地を移動する視点や人間の根源的な表現を、わたしなりに真摯に丁寧に編集することで、かえって「北海道発」を誇れるすばらしい冊子になる! そう思っているんです。


題字:吉増剛造
「アフンルパル通信」購読のお申し込みはメールかFAXにて書肆吉成まで。

 現在、増刊号を含め12号発行しています。次号は、11月10日発行予定で鋭意編集中です。今後はいっそうブックイベントや催事などにも参加して、本の楽しさや楽しみかたをお伝えしたいと思っています。「書肆吉成」をはじめて5年目。おかげさまでじょじょに活動の幅も広がってきました。

 最近、本の文化を引き継ぐことを意識しています。新刊や復刊ではまかなえない本や古地図・古資料を引き継ぐことができるのは、古書店とコレクターの関係があればこそです。今後はそんな社会的な役割もすこしずつ担っていければと思っています。


【書肆吉成】
065-0025北海道札幌市東区北25条東7丁目1-17
TEL:011-214-0972
FAX:011-214-0970
携帯:080-1860-1085
E-mail:yosinari01@gmail.com
営業時間:11:00〜19:00(日曜日12:00〜18:00)
URL:http://camenosima.com/

(K)

2011年9月1日木曜日

岩崎稔・陳光興・吉見俊哉編『カルチュラル・スタディーズで読み解くアジア』刊行



 このたび本学の岩崎稔先生編著による『カルチュラル・スタディーズで読み解くアジア』が、せりか書房から刊行されました。

編者:岩崎稔・陳光興・吉見俊哉
編集:武秀樹
装丁:大熊真未
せりか書房 2011年7月30日
本体3000円 A5判・並製・317頁
ISBN 978-4-7967-0306-2

 本書は、2009年に東京外国語大学で開催された「カルチュラル・タイフーン2009/INTER-ASIA CULTURALTYPHOON」をもとに編まれたアンソロジーです。著者の顔ぶれは多士済々、語られるテーマも多面的です。本書冒頭には、この本の内容を俯瞰的かつ概括的に述べた岩崎稔先生の力のこもった文章が按配されています。その冒頭部分を以下に要約してみました。

(1)アジアの文化的状況は冷戦終結以降大きく変容した。そのためアジアのカルチュラル・スタディーズも大きな政治的コンテクストに規定されたものとならざるをえなくなった。
(2)そして、戦後アジアに多大な影響力をもったアメリカの軍事プレゼンスも再編を迫られた。つまり、これまであまり見えてこなかった戦争の記憶が見え始めてきたのだ。
(3)イギリスで始まったカルチュラル・スタディーズはサブカル研究から政治的覚醒に繋がっていった。アジアのカルスタも植民地支配の歴史と影響について、いま問わざるをえない。
(4)もうひとつ問わなければならないものが新自由主義である。新自由主義は、その性質上、記憶と歴史の根絶を必須とする。そのことを到底容認できないわれわれは、それも根底から問い直さなければならないのだ。

 これは、21世紀日本におけるカルチュラル・スタディーズの新たな産声、あるいはマニフェストにも聞こえます。この決意を体現しているのが文化運動体カルチュラル・タイフーン(※)であり、その結実が本書です。
 本書は、シンポジウムやイベントの成果物としてたびたび生産される論考集ではありません。それは、それぞれの執筆者たちが、運動とテクストとの間を何度も行きつ戻りつしながら形成した、あたかも台風の目のような渦の中から産み落とされた一冊だからです。

 次回2012年のカルチュラル・タイフーンは、広島で開催される予定です。本書を手にイベントにもぜひ足をお運びください。

※カルチュラル・タイフーンは、既存の学会やシンポジウムの形式にとらわれず、さまざまな立場の人びとが互いにフラットな関係で、発表や対話をおこなう文化イベントです。詳しくはこちら(http://cultural-typhoon.com/2011/about.html)。

■目次:
本書を編むにあたって 岩崎稔
第一部 出来事としてのカルチュラル・スタディーズ
東アジアのCultural Studiesとは何か 吉見俊哉
緊張と共に生きる――インター・アジア運動をめぐるメモランダムとして 陳光興
アジアにおける凡庸さと教育について ミーガン・モリス
「日本」におけるカルチュラル・スタディーズの水脈と変容――ヨーロッパ/東アジア/日本の結節点において ファービアン・シェーファ/本橋哲也
第二部 文化と政治の突端で
『アトミックサンシャイン』展覧会問題をどうとらえるか 毛利嘉孝
現代日本における排外ナショナリズムと植民地主義の否認――批判のために 柏崎正憲
日本人「慰安婦」被害者と出会うために 木下直子
「経済開発」への抵抗としての文化実践――施政権返還後の沖縄における金武湾闘争 上原こずえ
第三部 アイデンティティと可視化の問い
在日フィリピン女性の不可視性――日本社会のグローバル化とジェンダー・セクシュアリティ 菊地夏野
不可視化される“不法”移民労働者第二世代――トランスナショナルなつながりとエンパワーメント 鄭嘉英
「多文化共生イベント」におけるアイデンティティ・ポリティクスの現在――「マダン」の変容にみる〈ナショナルなまなざし〉の反転可能性 稲津秀樹
第四部 アジアのイメージ、イメージのアジア
不安の感性、金守子と李昢――グロテスクな魅惑の都市、二一世紀のソウル・アート 禹晶娥
映画のなかの沖縄イメージ――その複線的な系譜 多田治
「アメリカ」・モダニティ・日常生活の民主主義――占領期における女性雑誌のアメリカ表象 松田ヒロ子
第五部 メディアと公共性
越境する公共性――テレビ文化がつなぐ東アジアの市民 岩渕功一
フィリピンにおける日本製アニメの人気と両国関係 マリア・ベルナデット・ブラヴォ
ファンの地下経済活動――ジャニーズファンを例に 龐惠潔
あとがき

■編者紹介:
陳光興(Chen Kuan-Hsing)
1957年、台北生まれ。台湾交通大学社会文化研究所教授、『インターアジア・カルチェラル・スタディーズ(Inter-Asia Cultural Studies: Movement)』主幹。著書に、Asia as Method: Toward Deimperialization, Duke University Pressなど。

吉見俊哉(よしみ・しゅんや)
1957年、東京生まれ。東京大学大学院情報学環教授。社会学、文化研究、メディア研究。著書に『カルチュラル・スタディーズ』(岩波書店)、『親米と反米』(岩波新書)など。

岩崎稔(いわさき・みのる)
1956年、名古屋生まれ。東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。哲学、政治思想。共編著に『東アジアの記憶の場』(河出書房新社)、『記憶の地層を掘る』(御茶ノ水書房)など。

2011年8月30日火曜日

今福龍太著『レヴィ=ストロース 夜と音楽』刊行


 このたび本学の今福龍太先生が『レヴィ=ストロース 夜と音楽』をみすず書房から刊行しました。

著者:今福龍太
編集:鈴木英果
みすず書房 2011年7月8日
本体2800円 四六判・上製・カバー・256頁
ISBN 978-4-622-07599-8

 レヴィ=ストロース(1908-2009)は、20世紀を代表する知の巨星です。構造主義の中心人物としても知られる碩学です。彼が考え、育み、ものした著作は、そのどれもが途方もなく広く、そして深い森のようです。この鬱蒼としたマット・グロッソ(=深い森)に地図をもたずに近づくことはなかなかにやっかいです。否応なく惹きつけられるけれども、容易には分け入ることができない。そんなわれわれにとって、本書はこの上もなく魅力的な案内役となるでしょう。

 本書はこう書き出されます。

   音楽と神話は、言語という親から生まれた二人の
   姉妹に似ている。この姉妹は、生まれてすぐに別
   々に引き離され、それぞれ異なる方向に進んで二
   度と会うことはなかった……。

 さらにこう続きます(要約します)。
 言語は音と意味からなっている。その音を素材に生みだされたのが「音楽」で、意味がもとになっているのが「神話」である。一方はヨーロッパに辿りつき高度に方法化され「芸術」となった。もう一方は南北のアメリカに流れつき重層的な神話として素朴で繊細な「技芸」となった。この二人の娘が生き別れになった姉妹であることに、いまや誰も気がつかない。しかしレヴィ=ストロースは、その秘密の共通の出自をつきとめ、私たちの前で明らかにした……。

 今福先生は、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』や『神話論理』を主な導き手として、碩学の根幹にある倫理や方法を、一編の長編詩のような美しく豊饒な言葉と跳躍力のあるイマジネーションで物語ります。

 長きにわたり世代と世代との関係を緊密に結んできた生成(ジェネレーション)と退化(ディジェネレーション)の環。動物たちとの埋めがたい溝を人間の「傷」として受けとめる深い倫理観。「神秘の猫」との一瞬の目配せのなかに潜む「野生の思考」。自然をそのまま受け入れるのではなく、自然から智慧を取り出すために生みだされた人類の叡智たる「構造」や「技巧」についてなどなど。

 レヴィ=ストロースの知性と倫理と方法を豊かにたたえた思惟の森に、本書を片手に飛び込んでみてはいかがでしょうか。


▲カバーをとると星を鏤めた星座にも見える模様が浮かびます

▲本文には20以上の図版が美しく配置されています

▲左ページに写るのはニシコクマルガラスを肩にのせた
レヴィ=ストロース

■目次:
リトルネッロ──羽撃く夜の鳥たち
第一章 ジェネレーション遠望
第二章 サウダージの回帰線
第三章 かわゆらしいもの、あるいはリオの亡霊
第四章 夜と音楽
第五章 ドン・キホーテとアンチゴネー
第六章 野生の調教師
第七章 ヴァニタスの光芒
第八章 人間の大地
カデンツァ──蟻塚の教え
書誌
図版出典
あとがき

■帯文:
レヴィ=ストロースとは何者か。その思考の核心は何か。遺された途方もなく深い森を探索し、夜の豊かなざわめきから、野生の音楽を響かせる、創造的入門書。

■著者紹介:
今福龍太(いまふく・りゅうた)
文化人類学者、批評家。1955年東京に生まれ、湘南で育つ。1982年よりメキシコ・キューバにて人類学調査に従事。テキサス大学大学院博士過程を経て中部大学・札幌大学などで教鞭をとり、2005年から東京外国語大学大学院教授。その間、メキシコ国立自治大学、カリフォルニア大学サンタクルーズ校、サンパウロ大学等で客員教授を歴任。同時に、キャンパスの外に遊動的な学びの場の創造を求め、2002年より巡礼型の野外学舎である奄美自由大学を主宰。著書に『荒野のロマネスク』(筑摩書房1989、岩波現代文庫2001)、『クレオール主義』(青土社1991、増補版 ちくま学芸文庫2003)、『野生のテクノロジー』(岩波書店1995)、『ここではない場所』(岩波書店2001)、『ミニマ・グラシア』(岩波書店2008)、『ブラジルのホモ・ルーデンス』(月曜社2008)、『群島-世界論』(岩波書店2008)、『身体としての書物』(東京外国語大学出版会2009)他。レヴィ=ストロースとの共著に『サンパウロへのサウダージ』(みすず書房2008)がある。

2011年8月29日月曜日

『〈アラブ大変動〉を読む
   ──民衆革命のゆくえ』刊行



装丁:桂川潤
東京外国語大学出版会 2011年8月10日
A5判・並製・237頁・定価:1575円(本体1500円+税)
ISBN978-4-904575-17-8 C0031

 この夏、小会から酒井啓子編『〈アラブ大変動〉を読む──民衆革命のゆくえ』が刊行されました。

 本書は、酒井啓子先生[本学教授]、ダルウィッシュ・ホサムさん[本学博士課程修了/現アジア経済研究所研究員]、山本薫先生[本学非常勤講師]、松永泰行先生[本学准教授]、飯塚正人先生[本学AA研教授]、黒木英充先生[本学AA研教授]、青山弘之先生[本学准教授]、エルカウィーシュ・ハナーン先生[元本学客員准教授/現カイロ大学准教授]、錦田愛子先生[本学AA研教授助教](以上掲載順)ら、第一線の中東研究者が結集し、アラブ世界の実情と民衆革命の趨勢を詳細に分析した先端的論文集です。2011年3月3日に本学で開催された公開ワークショップの記録とともに、その後の動向を考察した論考と、一連のアラブ情勢に追ったクロニクルを収載しています。

 リビアでは先日、首都トリポリが反体制派の「国民評議会」の攻勢によって陥落し、42年に及ぶカッザーフィー独裁政権は崩壊しました。一方、シリアは予断を許さない緊迫した状況にあり、依然としてアラブ情勢からは目が離せません。
 そんな大変動の雪崩に襲われたアラブ世界で、実際に何が起こり、それはなぜ起こったのでしょうか? そしてそれらの意味するところとはいったい何なのでしょうか? 本書は、そうした根源的な問いに応答するとともに、マスメディアが伝えない革命の〈歓喜〉と〈苦悩〉に迫ります。

■目次より
序章「恐怖の共和国」から「アラブの春」へ(酒井啓子)
【第一部】アラブ世界で何が起きたのか
第1章 アラブ世界の新たな反体制運動の力学(ダルウィッシュ・ホサム)
第2章 社会・文化運動としてのエジプト“一月二五日革命”(山本薫)
第3章 エジプト政変をどう考えるか(松永泰行)
第4章 イスラームと民主主義を考える(飯塚正人)
第5章 アラブ革命の歴史的背景とレバノン・シリア(黒木英充)
第6章 シリアへの政変波及がこれほどまでに遅れたのはなぜか(青山弘之)
第7章 エジプトの「成功」とリビアの「ジレンマ」(酒井啓子)
【第二部】 新しい民衆運動をどう考えるか
討論 アラブ、そして世界への波及をめぐって
エッセイ エジプト革命に寄せて(エルカウィーシュ・ハナーン)
【第三部】 “革命”がもつ意味と世界への影響
第8章 ヨルダン・ハーシム王国におけるアラブ大変動の影響(錦田愛子)
第9章 「革命」をハイジャックしたのは誰か(青山弘之)
第10章 バハレーン──否応なく周辺地域大国を巻き込む民主化運動の「不幸」(酒井啓子)
第11章 イラク──「民主化」された国でのデモは、何を求めているのか(酒井啓子)
口絵 エジプトの民衆デモ──タハリール広場にて
年表 アラブの春・クロニクル

■編者紹介:
酒井啓子(さかい けいこ)
1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。東京外国語大学総合国際学研究院教授。専攻:イラク 政治史、現代中東政治。アジア経済研究所を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』(岩波新書、2002)、『フセイン・イラク政権の支配構造』(岩波書 店、2003)、『イラクは食べる』(岩波新書、2008)、『〈中東〉の考え方』(講談社現代新書、2010)ほか。共編著に『イスラーム地域の国家と ナショナリズム』(東京大学出版会、2005)、『中東・中央アジア諸国における権力構造』(岩波書店、2005)ほか。

2011年8月1日月曜日

『アンナ先生の言語学入門』刊行



装丁:細野綾子
東京外国語大学出版会 2011年7月25日
A5判・並製・331頁・定価:2100円(本体2000円+税)
ISBN978-4-904575-16-1 C0080

 7月20日(水)、小原雅俊先生(本学名誉教授)、石井哲士朗先生(本学教授)、阿部優子さん(本学大学院出身)共訳『アンナ先生の言語学入門』が小会から発売されました。

 本書は、ポーランド生まれの気鋭の言語学者アンナ・ヴェジビツカさんによる言語学の入門書です。言語学のエッセンスを余すところなくちりばめ、世界のさまざまな言葉の用例をふんだんに駆使しながら、言語学の基本概念と研究課題をやさしく、しかもとても興味深く語っています。本学の名誉教授を務められた言語学の巨人・故千野栄一先生も、その平易な語り口で書かれた本書を大絶賛し、かねてより翻訳出版を念願されていました。その古典的な名著が、いよいよ日本語に翻訳されました。ちなみに本書が外国語に翻訳されるのはこれがはじめてです。言語学の研究者はもちろんのこと、言葉に興味をもつすべての人にぜひ読んでいただきたい本です。

■日本語版によせて:
 本書を今日の言語学の世界に位置づけるために、今一度ここで強調したい肝心な点は、言語とは、意味を伝えるために特定の音と形式を用いる、文化的に形作られた、歴史的に発展した体系である、ということです。そして私が考えるに、この「意味研究」という分野こそが、本書が最初に出版されてからここ数十年の間に、もっとも興味深く、もっとも重要な事実が明らかになった分野なのです。……本書が読者にとって多少なりとも、言語についてもっと知りたいという欲望を掻き立てるものになることを願ってやみません。

■目次:
 はじめに
 日本語版に寄せて
 訳者まえがき
 第1章 記号と意味
 第2章 音素から文へ
 第3章 言語の家族
 第4章 接触と交流
 第5章 方言、隠語、文体
 第6章 ことばの統計学
 第7章 言語のプリズムを通して
 第8章 機械が翻訳する
 第9章 「意味言語」とは何か
 あとがき

■著者紹介:
アンナ・ヴェジビツカ(Anna Wierzbicka)
 1938年、ポーランド生まれ。オーストラリア国立大学教授(言語学)。ワルシャワ大学卒業後、モスクワ大学への留学、マサチューセッツ工科大学研究員を経て、68年、ポーランド科学アカデミーにて博士号取得。72年以降、オーストラリアに在住。言語学をはじめ、人類学、心理学、認知科学などさまざまな分野を横断した研究を行っている。著書に本書のほか、『キーワードによる異文化理解 英語・ロシア語・ポーランド語・日本語の場合』(而立書房、2009)、Semantics, Culture and Cognition (1992), Emotions Across Languages and Cultures: Diversity and universals (1999), English: Meaning and Culture (2006)などがある。

■訳者紹介:
小原雅俊(こはら まさとし)
 1940年、福島県生まれ。ポーランド文学者。東京外国語大学名誉教授。著書に『白水社ポーランド語辞典』(共編、白水社)、『ポーランド語基礎1500語』(大学書林)、訳書にスタニスワフ・レム『エデン』(早川書房)、ボグダン・ヴォイドフスキ『死者に投げられたパン』(恒文社)、『文学の贈物──東中欧文学アンソロジー』(編訳、未知谷)、『ポケットのなかの東欧文学──ルネッサンスから現代まで』(共編訳、成文社)などがある。

石井哲士朗(いしい てつしろう)
 1948年、神奈川県生まれ。東京外国語大学総合国際学研究院教授。スラブ語学専攻。著書に『白水社ポーランド語辞典』(共編、白水社)、『ニューエクスプレス ポーランド語』(共著、白水社)など。

阿部優子 (あべ ゆうこ)
 1974年、鹿児島県生まれ。東京外国語大学卒業後、ワルシャワ大学研究生を経て、東京外国語大学博士課程にてタンザニアのバンドゥ諸語を研究。訳書にリシャルト・カプシチンスキ『黒檀(世界文学全集第3集)』(共訳、河出書房新社)など。

2011年6月15日水曜日

2010年発行「pieria 未知への遭遇のために」Webアップ&「外大生にすすめる本」番外編


 昨年の春に出版会と附属図書館の共同企画・編集によって発行した読書冊子「pieria(ピエリア) 未知への遭遇のために」をこのたびWebにアップしました。以下のURLから、ぜひご覧ください。また現在、附属図書館の入口にて今春発行の最新号「pieria 発見と探究への誘い」とともに無料配布しています。お立ち寄りの際はぜひ手にとってご覧ください。なお最新号は秋頃のWebアップを予定しています。

★「pieria」バックナンバー
◎2009年発行「pieria 新しい世界への扉」(創刊号)
http://www.tufs.ac.jp/common/tufspub/pieria/2009_index.html

◎2010年発行「pieria 未知への遭遇のために」(通巻2号)
http://www.tufs.ac.jp/common/tufspub/pieria/2010_index.html


 「pieria 未知への遭遇のために」のWebアップのタイミングに合わせ、「外大生にすすめる本」の番外編として「pieria」編集部から外大生に向けていくつかの本をご紹介します。時宜を得た本もあれば、いつの時代であっても普遍的に読み継がれる本もあります。この機会に読んでみてはどうでしょうか。

***

岩崎稔(東京外国語大学出版会)
「たまにはドイツのことで三題」
三島憲一『戦後ドイツ──その知的歴史』(岩波新書、1991)
三島憲一『現代ドイツ──統一後の知的軌跡』(岩波新書、2006)
三島憲一『ニーチェ以後──思想史の呪縛を越えて』(岩波書店、2011)

 「ピエリア」の第三号で“ホネ・ノ・アル新書”という特集を組んだら反響があった。新書は軽い雑誌みたいな本と、いつのまにか相場が決まってきているのに異をとなえたのだが、新書という形式はけっしてそんなものじゃないということを、いろんな出会いの経験によってちゃんと分かっているひとがまだまだ多いのだ。

 その“ホネ・ノ・アル”に加えたい候補はあまたあるが、二十年前になる三島憲一の①だってそのひとつだ。ドイツ文学やドイツ思想史という学界のお約束から、一般的な学問イメージまで、なんとなく共有されているステレオタイプを吹っ飛ばすように、具体的な戦争責任や文化的社会的緊張の文脈を書きこんで現代ドイツの思想をしっかり考えてみようとする点で、それは硬派の筋を通していた。それ以前も、抜群のドイツ語運用能力やフランクフルト学派を中心とした見事な翻訳で敬服することが多いひとだったけれど、①は、つねに具体的な文脈のなかで思想的課題を考えようとするかれのもうひとつの資質がずっといい効果を出している。ドイツ語専攻の学生たちに尋ねられた時に、いっとう最初にこれを推薦することにしている。同じ特質は、続編である②にも言える。

 ところでその三島氏が、最近③を出した。序章と独立した六つの論考からなる論集であるが、まさに副題にある知的「呪縛」に挑戦して、それを解いていく治療的効果という点で、①からの姿勢は一貫している。ヨーロッパの近現代哲学について行なわれがちな安直な規範化や受け売りにすこしも容赦がない。こうしたものが持ち込まれることで、一方ではありきたりの西洋の没落論が、他方ではナルシスティックな日本文化論がはびこるからだ。たとえば、ニーチェの片言隻句をそのまま大がかりな文明論に拡大してしまうことで、現代の文化状況を嘆いたり、秩序思考に飛びついたりする言説が問題なのだ。三島が強調するのは、ニーチェが生きて格闘した十九世紀末に生じていたのは、カントやヘーゲルの時代から三月革命期にいたる啓蒙の精神が、いっきに委縮して再宗教化し再キリスト教化していた具体的な時代状況だったということだ。そうした論敵の姿が特定できないときに、一般化に走る思想史論は、おおげさな預言者的託宣に変わってしまうか、エキセントリックな民主主義批判や怪しげな日本文化論にそっくり加担するようになる。「抽象的な否定」ではなく、「限定された否定」(ヘーゲル)をなせ、ということだろうか。第二章の「哲学と非ヨーロッパ世界」なども、植民地という他者をどうイメージしているのかについて、ドイツ観念論から現代哲学までの普遍主義的主張に含まれる深刻な死角を指摘する。しかし、だからといって、普遍をめぐる内省をまるごと投げ捨てるのではなく、そのなかに可能性として隠れている批評の力をなおも救い出すことを忘れない。そんなところにも「知性の公的使用」に絶望していない知性としてのかれの本領が発揮されている。なんだかドイツもの三題になってしまったが……。

***

綾部輝幸(東京外国語大学附属図書館)
「2010年 私の本棚から」
ジーン・バン・ルーワン『しりたがりやのこぶたくん』(アーノルド・ローベル絵、三木卓訳、童話館出版、1995)
池辺晋一郎『ベートーヴェンの音符たち──池辺晋一郎の「新ベートーヴェン考」』(音楽之友社、2008)
ヘルマン・ヘッセ『わが心の故郷 アルプス南麓の村』(V・ミヒェルス編、岡田朝雄訳、草思社、1997)
番外:バレンタイン・デ・スーザ『そよ風のように生きる──旅ゆくあなたへ』(女子パウロ会、1991)

 図書館で働いているくらいなので本好きには違いないが、学生時代と異なり今では自分の好みもはっきりしており、特に新刊を求めてもいないので再読が多くなる。

①近年は息子と絵本を読む時間が楽しい。この絵本は親子の何気ない日常を淡々と描いており、そこににじむ愛情がよい。ききたがりの息子「こぶたくん」への受け答えの中に、さまざまな生命の営みへの慈しみを感じさせる父親の姿。わが子をずっと相手にしていて時にひとりになりたくなる母親の心にも、親になると共感できる。味わい深い絵の中に親子の愛情と距離感について得ることが多く、よく友人への贈り物にする一冊。

②長い年月をいわゆるクラシック音楽を友に過ごしてきた。より深く楽譜を読み取りたいという思いだけは強いが、なかなか道は遠い。この書はそんな思いに応えてくれるような本だ。すっかり耳になじんで当たり前のようになった名曲が実はどんなに非凡であるのかを、平凡な作曲家ならこう書くという例とも時に対比しながら、豊富な譜例を用いて軽妙に語っていく。名曲の魅力を再発見していく読後感は、古くからの女友達の美質に改めて触れた時の幸福感に似ているかもしれない。

③少しまとまった休暇があると、いつも一日をヘッセにあてる。それも風や雲や草の匂いを感じる場所へ読みに出かける。ヘッセを読むことは、読書というよりも音楽を聴くことであると感じる。澄み切った厳しい音楽、孤独でいて何よりも自由な音楽。そしてその音楽は季節とともに刻々と色合いを変えていく。この書はヘッセの転機となったスイス南部移住をモチーフに随筆や詩を編んだものだが、読み味わううちにそんな背景への思いは薄れ、今読んでいる文章の中に流れるものに聞き入ってしまう。

番外:2010年は親しい友の病があり苦しい日々だった。この場にふさわしいかわからないが、慰めとしての書を挙げておきたい。カトリックの助任司祭である著者の言葉を集めたもので、希望・祈り・人との関わり・日々の過ごし方等について、優しく柔らかな語り口の中に深い洞察が心に響く。昔、やはり苦しい時期に人から贈っていただいた本で、改めて縁を感じた。
(2010.12.26)
***

竹中龍太(東京外国語大学出版会)
「大学生なら背伸びをしよう」
市村弘正『増補 小さなものの諸形態──精神史覚え書』(平凡社ライブラリー、2004)
二宮宏之『二宮宏之著作集1 全体を見る眼と歴史学』(岩波書店、2011)
今福龍太『身体としての書物』(東京外国語大学出版会、2009)

①20世紀という時代の経験を読み解く思考の痕跡。たとえば、言葉を失うような経験をしたとき、あるいは言葉がじぶんになかなか馴染まないというような状況にあるとき、本書を読むと言葉の感触を取り戻せるような気がする。とりわけ、未曾有の大震災後に読み返すと、圧倒的なリアリティを感じるのは何故だろうか。いつも仕事鞄の中に怪しく潜んでいる。

②これはある時代に固有の歴史学の成果なのだろうか。あるいは「歴史的」な学問的産物なのだろうか。私はそうは思わない。もし仮に、私が編集論なり出版論なりを講ずることになったら、本書をその教科書の一冊にするだろう。今年から刊行がはじまった「二宮宏之著作集」の第1巻。

③編集を担当した手前味噌を超えておすすめする一冊。その文化人類学者はなぜ、書物の森の深奥に分け入ろうとしたのか。そう自問しつつ本書を読み返しながらはたと気づく。そこが未知なるフィールドだから。
 歴史家の阿部謹也さんは『自分のなかに歴史をよむ』(ちくま文庫)のなかで、学生時代の思い出を紹介しています。
 阿部さんの学生時代の先生は、ドイツ中世史を専門とする歴史家の上原専禄先生。上原先生は「いつも学生が報告をしますと、『それでいったい何が解ったことになるのですか』と問うのでした。それで私も、いつも何か本をよんだり考えたりするときに、それでいったい何が解ったことになるのかと自問するくせが身についてしまったのです。そのように自問してみますと、一見解っているように思われることでも、じつは何も解っていないということが身にしみて感じられるのです。(中略)先生があるとき、『解るということはそれによって自分が変わるということでしょう』といわれたことがありました。」
私も学生時代、文学の先生からこれと同じようなことをいわれた記憶があります。「すぐれた文学は、それを読むと自分が変わるものだ」と。

***
後藤亨真(東京外国語大学出版会)
「このところ読んだ本、読み返した本のなかから」
髙村薫『神の火』(上下、新潮文庫、1995)
ネヴィル・シュート『渚にて』【新版】(佐藤龍雄訳、創元SF文庫、2009)
ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミン・アンソロジー』(山口裕之訳、河出文庫、2011)

①島田と日野は、福井県音海の発電所を襲い、原子炉圧力容器の蓋を開けてしまった──。物語の最後にあるこの原発襲撃の場面は圧巻だった。髙村薫は、原発の構造とその盲点を周到に調べあげ(今では馴染みになった原発専門用語も多数出てくる)、島田と日野の二人によって実行される綿密な計画を時系列に、しかも分刻みの緻密さでどこまでも現実的にえがく。読後、この小説を荒唐無稽な架空の冒険譚とはとても思えなかった。髙村が考えた一つの精緻な「計画」と、それを実行できる少しばかり訓練された二つの「肉体」、そして少々の「武器」さえあればこの作戦は実際に遂行できてしまう。本気でそう思えた。招かれざる者たちによって原子炉の蓋が開けられてしまうことは、髙村薫のなかではすでに充分に「想定内」だったのである。3月11日以降、電力会社社員ならびにその関係者、原発研究にいそしむ無数の科学者、そして原発を推進する多くの政治家や官僚たちの「想定」は、たった一人の小説家の想像力にさえも全く追いついていない、と思わざるをえなかった。

②全世界的な核戦争が行われたあとの世界。放射線は地球のほとんどを覆い尽くし、すでに多くの人間は死滅してしまった。人類に残された最後の地はオーストラリア・メルボルン。しかしそこにも死の影はすぐそこまで迫っていた。人類滅亡まで残りあと数ヶ月……。そんな絶望的な世界をえがいた小説。死を目前にした人々のさまざまな生活が描写される。ヤケになり危険きわまりない狂乱のレースに参加し、案の定凄惨な事故死を遂げる者たち。一方、ささやかな日常生活を営み続けながら最後まで生き、やがて静かに死を迎える者たちなどなど。免れえない災厄を前に私だったらどう考え、どう行動するか? 読んだ後、そう考えさせられた。

③それでも地震、津波、原発事故、そして亡くなった多くの人々が、徐々に記憶から薄らいでいく。そしてそのことに気がつき少なからず愕然とする。そんな時はベンヤミンの「歴史の概念について」を、なかでも「Ⅱ」と「Ⅸ」の二つの断章を何度も読み返した。



2011年6月10日金曜日

『パンダ』「ピエリア」が各種メディアで紹介されました


 この春刊行したプラープダー・ユン著『パンダ』と読書冊子「ピエリア」(3号)が、各種メディアで紹介されました。

 『パンダ』は、現代アジアの優れた文学作品を今後刊行していく「物語の島 アジア」シリーズの第1弾として高く注目されています。
 「ピエリア」は、「なぜ新書にこだわるのか」とちょっと辛口のものもあれば、「外大の雑誌らしい」「なかなか斬新で読み応えのある雑誌ではないか」と好意的な記事もありました。

 注目いただきました各紙のご担当者様、ありがとうございました!


★ プラープダー・ユン『パンダ』(宇戸清治訳/四方田犬彦解説)
○「新文化」2011年4月21日 「ウチのイチ押し」コーナーにて紹介
○「装苑(7月号)」2011年5月28日 「Good Book」コーナーにて紹介
○「日本経済新聞(朝)」2011年5月29日 新刊紹介
○「毎日新聞(夕)」2011年5月31日 「読書日和 注目です」コーナーにて紹介
○「ワイワイタイランド」2011年6月10日 「今月の読者プレゼント」コーナーにて紹介


★ 読書冊子「pieria(ピエリア)2011年春号」
○「東京新聞(夕)」2011年5月25日 「大波小波」コーナーにて紹介
○「出版ニュース」2011年6月上旬号 「情報区」コーナーにて紹介
○「毎日新聞(朝)」2011年6月5日 「今週の本棚 MAGAZINE」コーナーにて紹介

2011年6月7日火曜日

アントニオ・タブッキ著『他人(ひと)まかせの自伝──あとづけの詩学』(和田忠彦/花本知子訳)刊行


 このたび本学の和田忠彦先生が翻訳し解説を書かれたアントニオ・タブッキ著『他人(ひと)まかせの自伝──あとづけの詩学』(岩波書店)が刊行されました。

著者:アントニオ・タブッキ
翻訳:和田忠彦/花本知子
編集:古川義子
岩波書店 2011年5月24日
本体1900円 四六判・上製・カバー・164頁
ISBN 978-4-00-024509-8

 アントニオ・タブッキは、1943年生まれのイタリア人作家で、目下、その発言や振る舞いが注目されている作家です。邦訳も数多く、本書で取りあげられている『レクイエム』『遠い水平線』『ポルト・ピムの女』などの他にも、主な著作に『インド夜想曲』『逆さまゲーム』『夢のなかの夢』『フェルナンド・ペソア最後の三日間』などがあります。

 本書は、タブッキがこれまでの自作小説のいくつかについて初めて語った批評的エッセイ集です。「自伝」と聞けばややもすると、著名作家の着想の裏話、または文章を書く際のヒント、はたまた作品創作の苦労話などを、ここに求めてしまうかもしれません。けれども、この本が読者に投げかける企図はもっともっと深遠で多層で本質的です。なぜなら本書は「小説という器に盛った空想の産物こそが真理との邂逅をもたらしうるのだという信念にも似た信頼感がうんだ書物」(和田忠彦)であり、「自分の作品について語るふりをして、文学を語るための」(タブッキ)書物でもあるからなのです……。

 皆さんもタブッキに誘われるままに想像と現実のあわいを旅しつつ、文学創作の秘密をたどってみてはいかがでしょうか。

*本書が「週刊ブックレビュー」(NHK・BSプレミアム)で紹介されます。書評者は、小説家の堀江敏幸さんです。こちらもぜひご覧ください。なお放送予定日時は以下です。
 ①7月2日(土)午前6:30~7:24【朝】
 ②7月4日(月)午前2:00~2:54【3日日曜日・深夜】
 ③7月8日(金)午後0:00~0:54【昼】

*本書が「毎日新聞(2011.6.12朝刊)」の“今週の本棚”コーナーで紹介されました。書評者は「週刊ブックレビュー」に引きつづき堀江敏幸さんです。

■目次:
『レクイエム』について
 一音節のなかの宇宙──ある小説をめぐるさまよいの記録
『ペレイラは証言する』
 ペレイラの出現
『遠い水平線』について
 それにしてもスピーノ氏はなぜ笑うのか
 検死
『ポルト・ピムの女』について
 迷宮炎
 かつてのクジラ。帰還のタンゴ
『いつも手遅れ』の周辺で
 ネット上で
 他人まかせの自伝
 先立つ未来──欠けた手紙
 ある写真の物語
初出一覧
訳者あとがき──タブッキの時間認識と虚構をめぐって(和田忠彦)
人名索引

■訳者紹介:
和田忠彦(わだ・ただひこ)
1952年、長野県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。専攻、イタリア近現代文学・文化芸術論。現在、東京外国語大学副学長。著書に『ヴェネツィア 水の夢』(筑摩書房、2000年)、『声、意味ではなく──わたしの翻訳論』(平凡社、2004年)、『ファシズム、そして』(水声社、2008年)、主な訳書にアントニオ・タブッキ『夢のなかの夢』(青土社、1994年)、『フェルナンド・ペソア最後の三日間』(青土社、1997年)、イタロ・カルヴィーノ『むずかしい愛』(岩波文庫、1995年)、『パロマー』(岩波文庫、2001年)、『アメリカ講義』(岩波文庫、2011年)、『ウンベルト・エーコの文体練習』(新潮文庫、2000年)ほか多数。

花本知子(はなもと・ともこ)
1978年、広島県生まれ。東京外国語大学大学院博士後期課程修了。専攻、イタリア現代文学・文化論。現在、京都外国語大学イタリア語学科・京都外国語短期大学講師。『和伊中辞典〈第二版〉』(小学館、2008年)改訂作業に参加。



2011年5月9日月曜日

イタロ・カルヴィーノ著『アメリカ講義──新たな千年紀のための六つのメモ』(米川良夫・和田忠彦訳)刊行


 このたび本学の和田忠彦先生が翻訳・解説に携わったカルヴィーノ著『アメリカ講義──新たな千年紀のための六つのメモ』(岩波文庫)が刊行されました。また、品切れになっていた和田先生訳の『むずかしい愛』(カルヴィーノ著、岩波文庫)も、このたび重版(12刷)されました。

著者:イタロ・カルヴィーノ
翻訳:米川良夫/和田忠彦
解説:和田忠彦
編集:入谷芳孝
岩波書店 2011年4月26日
本体840円 文庫判・並製・カバー・320頁
ISBN 978-4-00-327095-0

著者:イタロ・カルヴィーノ
翻訳:和田忠彦
岩波書店 1995年4月17日
本体560円 文庫判・並製・カバー・222頁
ISBN 978-4-00-327093-2


 カルヴィーノの『アメリカ講義』は、『カルヴィーノの文学講義』(米川良夫訳、朝日新聞出版、1999年)という名でこれまで読み継がれてきました。しかしここ数年間は絶版となったまま、多くの書店の棚から消えていました。その名著が「《補遺》始まりと終わり」(和田先生訳)を追加収録し、書名を『アメリカ講義』とあらため復刊されました。

 カルヴィーノは、世界各地の神話や古今の名著名作を、まるで言葉のアルチザンのような鮮やかな手さばきで引用し、関係づけ、考察します。そして新たな千年紀に必要なものは「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」……だと論じます。

 本書は、T・S・エリオット、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、オクタビオ・パスらも過去に講義したハーヴァード大学ノートン詩学講義(1985-86)のために準備された草稿です。
 疲弊した現代の文学や日常を甦らせる処方について語られたカルヴィーノの遺著である本書を、ユーモアとエスプリに満ちた『むずかしい愛』とともにぜひ手にとってお読みください。


■『アメリカ講義』目次:
まえがき(エステル・カルヴィーノ)
1 軽さ
2 速さ
3 正確さ
4 視覚性
5 多様性
《補遺》始まりと終わり
訳者あとがき(米川良夫)
解説(和田忠彦)
索引


■訳者紹介:
和田忠彦(わだ・ただひこ)
1952年、長野県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。専攻、イタリア近現代文学・文化芸術論。現在、東京外国語大学副学長。著書に『ヴェネツィア 水の夢』(筑摩書房、2000年)、『声、意味ではなく──わたしの翻訳論』(平凡社、2004年)、『ファシズム、そして』(水声社、2008年)、主な訳書にカルヴィーノ『パロマー』(岩波文庫、2001年)、『魔法の庭』(ちくま文庫、2007年)、『ウンベルト・エーコの文体練習』(新潮文庫、2000年)ほか多数。



2011年4月26日火曜日

ブックフェア「亀山郁夫 文学と社会、生きる力」開催


 2011年4月7日(木)から5月8日(日)まで、リブロ池袋本店書籍館1階のカルトグラフィアコーナーで、本学学長の亀山郁夫先生が選書したブックフェア「亀山郁夫 文学と社会、生きる力」が開催されています。

 小会編集部Kがその模様をレポートします。

 本学の学長室にあったドストエフスキーの大きな肖像パネルも本と一緒に並んでいます(ちなみにこれは売り物ではありません)。大迫力でした。

 亀山先生の著作はほとんど揃っています。旧版の『磔のロシア』(岩波書店)など、いまや書店ではなかなかお目にかけない貴重な単行本なども。もちろん小会から刊行されている『ドストエフスキー 共苦する力』もあります。小会が毎年春に発行している読書冊子「pieria(ピエリア)」も置かせていただいています。ぜひ一度手にとってご覧ください。

  選書の中ではスーザン・ソンタグの本を手にとる読者がもっとも多いようです。カミュの『ペスト』もかなりの売れ行きとのこと。

 最後に、このブックフェアのために亀山先生が寄せた文章をここに転載します。大震災で傷ついた人々におくる熱いメッセージです。


 「人間というのは生きられるものなのだ! 人間はどんなことにでも慣れることのできる存在だ」

 ロシアの作家ドストエフスキーは、かつて、酷寒のシベリアの地でこのように書いたことがありました。シベリアでドストエフスキーが手にした発見とは、「どんな苦しみにも慣れることのできる」人間の強さ、逞しさでした。しかしそれは、あくまでも、苦しみを受ける立場から生まれた苦渋のひと言だったのです。青年時代、彼は、ユートピア社会主義にかぶれ、国家反逆罪の罪を問われて、一度は死刑判決まで受けた過去があるのです。

 今年3月、私たちの日本で、もはや決して慣れることを許さない事態が起こったのでした。慣れようにも慣れることのできない恐ろしい災厄。この、未曾有の恐ろしい事態をまのあたりにして、私たちはいま呆然とし、自信を失い、未来に不安を感じています。しかしその傍らで、生きてあるということのかけがえのない意味に目覚め、生命の「奇跡」に触れた人々も少なくないはずです。しかし、生命は、それ自体ではけっして「奇跡」とはなりえません。深く豊かに「歓び」を感じる心を持ってこそ、生命は真の価値を放つのです。また、「歓び」を経験できる心がなければ、私たちの傍らで傷つき、苦しむ人たちとの豊かな「共苦」の心も生まれないはずです。「歓び」とは、何よりも、心の根源的な震えなのですから。

 そして幸運にして、最悪の現実を免れることのできた私たちに残される責務とは、「けっして慣れない」という決意です。それは、個々人にとっての決意であると同時に、務めであり、試練でもあるのです。そして私たちの魂が、つねに社会の現実との生きた「交感」を保ち、ともに生きる「歓び」を感じつづけていくには、魂の枯渇という事態を何としても避けなければいけません。大きな災厄の時代だからこそ、私たちの一人ひとりが、豊かな「歓び」の発見に努め、魂に確実な潤いを持ち続けなくてはならないのです。

 今回、ここに選びだした300冊の本は、私の「歓び」の軌跡です。私の人生に潤いをもたらし、それぞれの段階において確実に重要な意味をもった本ばかりです。私が生きた60年間は、戦後の日本が、敗戦の混乱をくぐりぬけ、不死鳥のように復活をとげた高度成長時代から、バブル崩壊による大きな幻滅を味わい、長い停滞からようやく立ちあがりかけた時代です。そして、いま、世代を超えて、一つの恐ろしい現実に立ち向かっています。

 全体的な災厄との遭遇という視点からいうなら、かつて私の幼い心が最初にはげしく打ちのめされたのが、11歳の年、小学校の図書館でたまたま開いた原爆の犠牲者たちの写真です。1962年10月のキューバ危機の際には、幼心に、世界が終わりの淵に立ったと思い、恐怖していました。それ以来、私の心は、世界全体に襲いかかる圧倒的な力という観念にとりつかれ、深いペシミズムにかられ、あるいはその無力感と戦ってきたのです。けっして大げさに言っているわけではありません。そしてつねに、人々の苦しみに何も感じなくなる人間の「堕落」という問題について考えつづけてきました。

 そんな私がいま、最高の戒めの言葉としている一節があります。それは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の犠牲者となったサラエボ市民への深い哀悼の思いに発するスーザン・ソンタグの次のひと言です。

 「彼らの苦しみが存在するその同じ地図の上に、わたしたちの特権が存在する」

2011年4月7日
亀山郁夫

2011年4月11日月曜日

読書冊子「pieria 発見と探究への誘い」できあがりました!
──編集室だより③


表紙デザイン:細野綾子
本文デザイン:木下弥
東京外国語大学出版会&附属図書館
発行日:2011年4月1日
A5判・並製・80頁・無料配布

 毎年春に発行している読書冊子「ピエリア」の第3号ができあがりました。今号はふたつの特集を組みました。

 ひとつは例年ご好評をいただいている「外大生にすすめる本」。今回も先生からオススメの本をご紹介いただきました。“読書”や“知”の入口にふさわしい本を新入生に寄り添うようにお選びになる先生や、ご自身の読書や研究などの方法論を垣間みせるようなすこし骨のある本をお選びになる先生まで。今回はより外大らしく外国語で書かれた原書も取り上げていただくようにお願いしました。外大の新入生や在学生に限らず、一般読者の皆さんにも手にとっていただきたい本がたくさん集まりました。

 そしてもうひとつの特集は「ホネ・ノ・アル新書」。一瞬スペイン語かポルトガル語かと見まがうかのようなこの文字面。じつは「骨のある新書」のことなのです。「そう、かつての新書には骨があった」。これがこの特集をつくるときの合言葉でした。今福龍太先生のご協力のもと読書人必見の、これまでなかった新書特集にしあがっています。ほかにも、ご自身の魅力的な研究対象についてそれぞれの先生が書かれたエッセイ「フィールドノート」や、在学生が果敢にも先生へのインタヴューに挑戦した「わたしの読書道」など、読みごたえ満載です。

 ささやかではありますが、じつはすごく野心的なこの読書冊子を、全国の書店にも置いていただこうといま考えています。ご興味をお持ちになった書店員さんは編集部(tufspub@tufs.ac.jp)までぜひご一報ください。学内では附属図書館2階入口や外大生協で、無料で配布されていますのでぜひ手にとってご覧ください。


pieria【ピエリア】2011年春号 発見と探究への誘い 目次

【新入生へのメッセージ】
探究するこころ  吉田ゆり子

◎外大生にすすめる本
【巻頭エッセイ】
批判的思考と実践のために──美学と詩学のすすめ  和田忠彦
【本学教員が外大生にすすめる本】
新井政美 今井昭夫 小川英文 小田淳一 風間伸次郎 加藤晴子 菊池陽子 佐々木あや乃 佐藤公彦 宗宮喜代子 武田千香 千葉敏之 敦賀陽一郎 中野敏男 南 潤珍 西岡あかね 沼野恭子 野本京子 花薗 悟 藤縄康弘 二木博史 水野善文 峰岸真琴 村尾誠一

◎ホネ・ノ・アル新書
【巻頭言】「新書」再発見に向けて  今福龍太 
【書評エッセイ】
生きうる社会の仕組みの学へ  西谷 修
内なる「日本」を問いかえす対話  米谷匡史 
ラポールと技術の先にあるもの  栗田博之 
旅の達人に学ぶ  受田宏之 
戦争の世界化に抗う思想  中山智香子
「生きられた歴史」の深みへ  今福龍太
生命を浮き彫りにする死の表象  久米順子
「もどかしさ」としての旅  桑田光平
聖書以前の景色を描く  今泉瑠衣子
民衆の力を見つめ直す  金子奈美
徹底的に思考したその半生を読む  篁 日向子
「連帯」の可能性を探る  神宮桃子

デザインから見た新書  桂川 潤
ホネ・ノ・アル新書小史 


【学長の読書日誌】
ささやかな歓びの記録  亀山郁夫

【フィールドノート──わたしの研究余話】
テクスト、書物、町  博多かおる
旅順の風、植民地博物館の夜  橋本雄一
野外調査と読書  中川 裕 

【わたしの読書道】
書物の記憶はつながっている  柳原孝敦
足もとからの読書  趙 義成
ことば、言語学、そして師  富盛伸夫 

【在学生がすすめる本】
わたしのイチオシ
留学生がすすめる「故郷の本」

【附属図書館トピックス】
〈TUFS-ビブリオ〉をスタートさせました  立石博高
2010年貸出ランキング 
図書館この一年
美術館・博物館への貸出資料

アナクロ路線で行くぞ! 三年目を迎える出版会  岩崎 稔
東京外国語大学生協書籍部「ハッチポッチ」へようこそ!
編集室だより
外語大の先生の新刊棚



『英作文なんかこわくない』刊行


装丁:小塚久美子
東京外国語大学出版会 2011年4月11日
A5判・並製・285頁・定価:1890円(本体1800円+税)
ISBN978-4-904575-13-0 C0082

 4月11日(月)、馬場彰先生(本学名誉教授)監修、猪野真理枝(本学院出身)さん、佐野洋先生(本学教授)共著『英作文なんかこわくない』が小会より刊行されました


 本書はTOEICの勉強だけでは見落としがちな「英作文」能力を向上させる、大学生・ビジネスパーソン向けの学習書です。グローバル化が進み日本人が英語で発信する機会が益々増えていくなか、日本語は英語と非常に異なる言語構造を持つために、日本人が英作文をすると、日本語をそのまま直訳したような英文を書きがちです。本書はその点に着目し、日本語の文法を正しく理解し、その意味に対応する英作文のしかたを学ぶ対照言語学的なアプローチを採用しています。最初は慣れない母語の文法説明に戸惑うかもしれませんが、読み進めていくうちに、きっと「なるほど、自分の日本語がうまく英語にできなかったのは、こういうわけだったのか」と、気づくことでしょう。

 本書は5つのステップから構成されています。
〈Step 1からStep 3〉文型、立場表現、時間表現などの日英語どちらにも存在する表現形式を比較しながら、英作文の練習をします。
〈Step 4〉日本語にない構造である「無生物主語」と英語にない構造である「主題文」を知り、それらを英語で表現する方法を学びます。
〈Step 5〉日本語をより自然な英文にするために、日英語の「文の基本構造の違い」を知り、「自然な英文をつくる」ための総仕上げをします。

〈1回1ユニット構成〉
 5つのステップは、複数のユニットにわかれており、1つのユニットが、1日30分程度の学習で終えられるように作られています。1つのユニットは「①解説→②英作文の公式→③Check it out→④例題→⑤例題解説」で構成されています。また、各ステップの終わりには、そのステップで学んだ内容を再確認するための、復習テストがあります。1ユニットを1日で終えれば、復習テストを含めて合計39日で終えることができます。

■著者紹介:
猪野真理枝(いの まりえ)
 東京外国語大学大学院博士前期課程修了。言語学修士。大手進学塾でビジネスパーソン向けの英語教材の作成と編集に携わる。長年、英語教育を専門とし、e ラーニング教材開発ディレクターや企業教育向け英語講師も務めた経験をもつ。

佐野洋(さの ひろし)
 1960年生まれ。東京外国語大学総合国際学研究院教授。情報工学専攻。著書に『Windows PCによる日本語研究法――Perl,CLTOOLによるテキストデータ処理』(共立出版)、主要論文に「日本語学習素材作成のための日本語処理ソフト ウェア」などがある。

■監修者紹介:
馬場彰(ばば あきら)
 1945年生まれ。東京外国語大学名誉教授。英語学(生成統語論・歴史的統語論・辞書学)専攻。著書に『BBI英和連語活用辞典』(共編著、丸善)、 『リーダーズ・プラス』(編集委員、研究社)、『世界の言語ガイドブック1:ヨーロッパ・アメリカ地域』(共著、三省堂)、訳書にJ.ライアンズ『チョム スキー』(共訳、岩波書店)などがある。

アジア文学の新たな息吹を伝える新シリーズ
〈物語の島 アジア〉第一弾
『パンダ』刊行


解説:四方田犬彦
装丁:桂川潤
東京外国語大学出版会 2011年3月31日
四六変型判・並製・328頁・定価:2310円(本体2200円+税)
ISBN978-4-904575-12-3 C0097

 3月31日(木)、本学の宇戸清治先生翻訳によるプラープダー・ユン著『パンダ』が小会から刊行されました。本書は、アジア文学の新たな息吹を伝えるシリーズ〈物語の島 アジア〉の第一弾として刊行する、タイで大きな話題をよんだ現代ポストモダン小説です。
地球に生まれ落ちたのは何かの間違いだった──。ある日突然そう悟った「パンダ」というあだ名をもつ青年は、みずからの故郷の星を探して帰還をめざします。タイのポストモダン文学の旗手による、現代社会への鋭い諷刺の精神と、人間への愛と寛容に溢れた新世紀の物語です。


 このたび著者のプラープダーさんから日本の読者のみなさんにメッセージを寄せていただきました。
「『パンダ』は私にとっては二つ目の長編小説です。私は『パンダ』を、現在生じている問題の導火線ともなった急速かつ複雑な変化の始まったタイの社会、政治の地殻変動のただ中で書きました。この小説の主人公は、目下、グローバル化が進行しているいまのタイ社会と自分の抱える問題を同時に見つめる若者です。日本の読者の皆さんは、この主人公の考えをどのように受け取られるでしょうか。それを知ることに私は感心があります」 (プラープダー・ユン)


 東京外国語大学は、東南アジア地域の言語と文化にかかわる国内きっての教育研究拠点ですが、このシリーズはその研究成果のひとつでもあります。当面は、年1、2点ののんびりしたペースで、ベトナム、インドネシア、カンボジア、フィリピンなど東南アジア地域のすぐれた近現代文学をご紹介していく予定です。将来的には広くアジア地域の文学を取り上げてゆきたいと考えています。どうぞご期待ください。

■ 著者紹介:
プラープダー・ユン(Prabda Yoon)
 1973年、バンコク生まれ。タイの作家、アーティスト。中学卒業後、ニューヨークで芸術を学び、98年のタイ帰国以降、小説、評論、脚本、音楽、デザイン、イラスト、写真など多彩な活動を展開。2002年には短編小説集『存在のあり得た可能性』で、タイで最も権威のある「東南アジア文学賞」を受賞。著書に短編小説集『鏡の中を数える』(宇戸清治訳)、エッセイ集『座右の日本』(吉岡憲彦訳、ともにタイフーン・ブックス・ジャパン)などがある。また、脚本を手がけた映画に『地球で最後のふたり』『インビジブル・ウェーブ』(ともにペンエーグ・ラッタナルアーン監督/浅野忠信主演)がある。

■ 訳者紹介:
宇戸清治(うど せいじ)
 1949年、福岡県生まれ。東京外国語大学総合国際学研究院教授。タイ文学専攻。著書に『タイ文学を味わう』(国際交流基金アジアセンター)、『東南アジア文学への招待』(共著、段々社)、『一冊目のタイ語』(東洋書店)、『デイリー日タイ英・タイ日英辞典』(監修、三省堂)、『はじめての外国語(アジア編)タイのことば』(監修、文研出版)、訳書に『インモラル・アンリアル:現代タイ文学ウィン・リョウワーリン短編集』(サンマーク出版)、プラープダー・ユン『鏡の中を数える』(タイフーン・ブックス・ジャパン)などがある。

2011年3月24日木曜日

読書冊子「pieria(ピエリア)」校了!
──編集室だより②



 4月1日発行の「pieria(ピエリア)」の第3号が、先週18日(金)に校了しました。小会も大地震に見まわれ(東北地方で大震災に遭われた方々とは比べようもありませんが)、その後は計画停電との折り合いをつけながらの編集作業でした。毎年お渡ししている新入生にスケジュールどおり届けることができるだろうか……。そんな不安も一瞬よぎりましたが、編集部、お手伝いいただいた学生スタッフのみなさんのがんばりにより無事校了に漕ぎつけることができました。

 「pieria」は出版会と附属図書館との共同企画で毎年春に発行している読書案内の小冊子です。今号は昨年よりも8ページ増の80ページとなりました。無料の小冊子にしては読み応え充分の立派な冊子です。なかでも「ホネ・ノ・アル新書」は渾身の特集です。ぜひご一読を。

 このささやかではありますが野心的な小冊子を、全国の書店にも置いていただこうと考えています。ご関心をお持ちになった書店員さんはぜひご一報ください。


 最後に、このたびの大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。

2011年1月7日金曜日

東京都豊島区「リブロ池袋本店」──書肆探訪③


 今回、取材にお邪魔したのは東京都豊島区にある「リブロ池袋本店」です。これまでに訪れた「高美書店」や「しまぶっく」とは異なり膨大な数の新刊本を取り扱う超大型書店です。一昨年の10月末には大規模な改装工事が行われ、さらに魅力的な書店へと変貌しました。そして「リブロ」といえば1980年代に徹底した個性的な書棚づくりと店内のしつらえで、書店界に新風を吹き込んだ書店でもあります。……と言っても今日の私のお目当ては池袋本店書籍館のマネージャーをお勤めの辻山良雄さんです。

 辻山さんは97年からリブロにお勤めになっています。また書店員としてのお仕事の他さまざまなブックイベントにも積極的にかかわっています。なかでも特筆すべきは、2008年からつづくBOOKMARK NAGOYA(以下ブックマーク)です。ブックマークは、名古屋市を中心とした50店舗もの新刊書店や古本屋、雑貨屋などを巻き込んでおこなわれるブックフェスティバルです。辻山さんはこのブックマークを立ち上げた一人です。

 書店での通常業務の枠におさまらない辻山さんに、これまでの経歴やブックマークについて、そして理想とする書店像や電子書籍などについてお聞きしました。



 今回取材をさせていただいた辻山さん。
池袋本店書籍館をとりしきっています。

 
────リブロに入社されたきっかけは何だったのですか?

【辻山】1996年にアメリカに旅行した時に、「Barnes & Noble」に行ったことがありました。そこには美術書などがゆったり座って読めるスペースがあり、こんなのが日本の本屋にもあればいいな、と思いました。そうして日本に帰って来てみると、その当時のリブロ池袋本店にそうしたスペースがあり(いまはなくなってしまいましたが)、それは当時の日本ではめずらしかったのです。おそらくこういったことがきっかけになってリブロにひかれ、ちょっと受けてみようかな、と思ったのですが、もともと書店員になりたいという強い思いがあったわけではありませんでした。
 当時から本は好きでしたが、本について詳しいかと言うとそうでもなく、本そのものの形状や本がある空間が好きなんです。だから、本に囲まれた書店に就職するというのは自分にとってとても自然だったのかもしれません。
 一般的には書店員は読書家だと思われたりしますが、少なくとも私に関しては実はそうでもありません(笑)。家庭環境を思い返してもそれほど本の多い家ではありませんでした。ただ受験生のときに家から予備校が遠かったので、電車のなかでサリンジャーなどの海外文学を読んでいました。そのときにこういった世界もあるのかとすこし書物の世界に目覚めたのだと思います。そう言えばそうした外国文学から、当時はやっていた記号学や言語学の本も読んだりしていましたね。

────リブロ名古屋店の店長をされているときにブックマークにかかわられますね。きっかけは何だったのですか?

【辻山】私と「YEBISU ART LABO(エビスアートラボ)」というセレクトブックショップを営む岩上杏子さんが立ち上げメンバーでした。彼女のお店には古本があったので、はじめはリブロ名古屋店のなかでそれを売りたいね、というところから話がはじまりました。そうしたらいつのまにか、名古屋でも福岡の「ブックオカ」のようなブックフェスティバルをやりたい、とどんどん話が大きくなっていったのです。
 なぜこんなに早く大きなイベントになっていったかと言うと、東京にくらべれば名古屋の書店は、街の規模がそれほど大きくなく、横の繋がりが強くて、新刊書店同士だったら気軽に声をかけられる環境にあったからだと思います。ブックマークには書店だけでなく、雑貨屋さんなども多数参加していますが、そうしたお店に関しては、岩上さんが良く知っていました。

────なぜ雑貨屋さんも加わってもらおうとお考えになったのですか?

【辻山】今は、本は本屋にしか売っていないという時代ではありませんよね。本というものに少しでも光が当たるのであれば、入口はどこでも良いわけですし、むしろ本屋以外の方が本の持つ可能性を掘り起こせるのではないかと考えました。
 それに名古屋には小さいけれども魅力的なお店が沢山ありますが、その当時はあまり世の中に知られていませんでした。古本屋を含めた書店にしても名古屋にはそれぞれ特色があって、とても多様なお店がいっぱいあったんですが、どうも一般の人にはあんまり知られていない。ブックマークをやる以前から、そのことが頭のなかには常にあって、いつかそうしたお店を集めた名古屋の書店ガイドみたいなものを作りたいなと思っていたんです。そんなことを考えている時に、『SCHOP』(スコップ)というフリーペーパーを作っている上原さんがたまたまリブロに取材に来ました。彼が作っている雑誌を見せてもらうと昔の『relax(リラックス)』のような雑誌だった。この人とだったら面白いものを作ったり、やったりできそうだと思って、ブックマークにもお声がけしました。小さなことから大きなことまでこうした人の環みたいなのが何となくできて、それがどんどん繋がり、BOOKMARK NAGOYAの原型みたいなものができました。

────2008年2月に行われた1回目から、いまやかなり大規模なブックフェスティバルになりましたよね。予算などはどこから捻出されていたのですか?

【辻山】まず参加店から5000円ずつお金を募りました。そしてそのお金をもとに共同のリーフレットをつくっていたので、そのリーフレットに載せるひと枠5000円の広告収入もありました。参加店が約50店舗で、広告が80枠くらいありましたから、全部で60万円くらいにはなりました。開催していたイベントに関しては、入場料などのイベント収入がありますから、できるだけそれで帳尻が合うようにしていました。そういったやりくりで赤字が出ない程度には開催できました。

────これまでたくさんの書店で中心的な役割を担われ、ブックマークをはじめとした多くのイベントにも関わられた辻山さんにとって、理想の本屋とは?

【辻山】上手くは言えませんが、常に何かが変化しているということでしょうか。それは書棚が変わったり、フェアが行われていたり、イベントのようなものが開催されていても良いと思います。小さなことでもいいですし、もちろん大きなことでもいいのですが、常に毎日なにかが変わっていることが大切なのだと思います。
 お店に小さな変化を与える事は、読者がその本を見て手にとる事を促し、読者はその本を読むことによって、自分自身が変わり、新しい行動にうつしだすきっかけに繋がります。書店は、そういった出会いの場であり、きっかけの場でもあり、世の中がちょっとでも良くなるように手助けする場でもあると思っています。それらを促すための社会的な装置なのだと思います。
 そこに自分の「好み」もすこしだけ反映させつつ、もともと本に備わっている“人を行動に駆り立てる何か”を引き出し、読者に届けたいのです。これが私の仕事だと思っています。もちろんこうした仕事のなかには、大きく派手なものばかりではなく、地味だけれどもけっしておろそかにできない小さくて細かい仕事も含まれます。

────大型書店になればなるほど書店員さんの「好み」は見えにくくなり、書棚が平板化されていくように思えます。人間の体温が感じられるような書棚を見てみたいといつも思っています。

【辻山】組織のなかでやっているので、難しい部分もありますが、リブロはその辺りが伝統的に自由な会社だと思います。そういった体温が感じられるような書棚を作っていくようにはいつも心がけております。
 個人的には、本は格好良いものであるとか、本を読む事自体が格好良い行為であるとか、そうした流れを作っていきたいと思います。そうするためには書店員が本と出会う場を素敵な空間に演出しないといけませんし、出版社さんにも思わず手にしたくなるような本をたくさんつくってもらわないといけません。

────電子書籍に関しては、どう思われていますか?

【辻山】読書の体験がない人というのは、世の中に本当にいっぱいいるので、電子書籍がそのとっかかりにすこしでもなるのであれば、それは良いことです。少なくともまず読書という体験に気付いてもらわないといけませんので。
 けれども私はリアル書店の書店員としてここにいる以上は、物としての本の魅力や特質を伝えることが仕事だと思っています。それにはまずは本のある空間である事、という魅力を高め、ここで出来ることを愚直に押し進めることだと思います。




 以下、写真とともに辻山さんオススメの書棚をいくつかご紹介します。

 このフェアは、昨年の11月18日より池袋本店書籍館1F人文書コーナーではじまった、文芸誌『en-taxi』とのコラボレーションブックフェアです。『en-taxi』棚には、バックナンバーや関連本、月替わりの同人セレクション本が並んでいます。
 同人で批評家の福田和也さんと坪内祐三さんをホストに『en-taxi』ゆかりの作家をゲストとして迎えての連続トークショー『エンタク学校』も開講しています。


 書籍館の1Fには、“現在を読みとく思想地図”をコンセプトにしたカルトグラフィア(Cartgraphia)棚もあります。



 美術書や写真集などのビジュアル本や、書物に似合う小物が大好きな辻山さん。「じつはこうした書棚が一番好きです」とおっしゃっていました。


【リブロ池袋本店】
住所:〒171-8569 東京都豊島区南池袋1-28-1
西武池袋本店 書籍館・別館
TEL:03-5949-2910
営業時間:10:00〜 22:00
URL:http://www.libro.jp/shop_list/2009/07/ikebukuro-honten.php



 次回も楽しみにお待ちください。
(K)