2011年9月22日木曜日

北海道札幌市「書肆吉成」──書肆探訪④


 このたび取材に訪れたのは、「書肆探訪」第二回でご紹介した「しまぶっく」(東京都江東区)につづく古本屋「書肆吉成」です。「書肆吉成」は今年で開店5年目をむかえた札幌の古書店です。店主の吉成秀夫さんは、1977年に北海道斜里郡清里町で生まれた生粋の道産子。高校卒業と同時に札幌に引っ越し、1997年に札幌大学文化学部に入学されます。そこで運命的な人と本との出会いがありました。この出会いの数々がなければ、「本とのかかわりはもっと希薄なものとなっていたし、ましてや古本屋さんには絶対になっていなかった」とのちに吉成さんは述懐されています。吉成さんはいったいどのようなきっかけで書物の魅力にひき寄せられ、古本屋を営むことにいたったのでしょうか。また、古書店が発行する定期刊行物のなかで極めて異彩を放っている「アフンルパル通信」は、いったいどのような過程をへて刊行されるにいたったのでしょうか。札幌古本界の旗手・吉成秀夫さんにそのあたりのお話をうかがってきました。


本に魅せられたきっかけは?
 書物との出会いの前には、かならずと言っていいほど、まず人との出会いがあると勝手に思っています。なぜそう思うのか? じつはわたしにもそんな出会いがあったからなんです。その当時、札幌大学文化学部の学部長を歴任されていた文化人類学者山口昌男先生との出会いです。

 わたしは1997年に札幌大学文化学部の一期生として入学しました。そのとき文化学部の根幹の講義として山口先生の講義がありました。この講義のテキストにはホイジンガの『ホモ・ルーデンス』(中公文庫、1973)が指定されていたのですが、山口先生は興味の赴くままに縦横無尽に話されていたように記憶しています──このときの講義は『学問の春』(平凡社新書、2009)として刊行されています──。
 これが山口昌男先生との関係がスタートした瞬間でした。

 山口先生は昭和6年に北海道美幌に生まれ、網走南ヶ丘高校の前身である網走中学を卒業しましたが、この学校はじつはわたしの母校でもあるんです。あとで知ったことなんですが、山口先生はわたしの遠い大先輩だったんです。山口先生は、東京都立大学(現首都大学東京)の大学院で人類学を馬渕東一氏から教わって、アフリカのナイジェリアにあるイバダン大学で教鞭を執り、そのあとアフリカをフィールドに山口人類学をますます深化させます。こういったプロセスのなかから名著がつぎつぎ生みだされます。たとえば『人類学的思考』(せりか書房、1971)や『本の神話学』(中央公論社、1971)、そして『道化の民俗学』(新潮社、1975)などです。これらはどれもこれまでみたことも聞いたこともない知識を駆使した稀有な書物でした。

 わたしは、山口先生が主宰する読書会に参加しながらこれらの著作を読んでいきました。山口先生を媒介に接したこれらの書物が、いまのわたしを形づくっています。なかでも特に書物への扉を大きくこじあけてくれたのが、その当時ちくま学芸文庫から出ていた山口先生の主著『道化の民俗学』(1993)でした。
 この本では、古今東西さまざまな笑いを振りまく「道化」や「トリックスター」が文化史としてではなく民俗学として描かれていました。つまり日常生活を「物語」と「社会構造」がまざりあった文化としてとらえる手法で書かれてありました。道化はありとあらゆる失敗をするのですが、そういう存在こそが、価値観の固定化した社会を揺るがし、これまで気づかなかった別の側面をみせ、文化を活性化させる貴重な役割を果たしている。そのことがこの山口先生の本にはとても力強く書かれていたんです。こんな痛快な読書はそれまで体験したことがありませんでした。

ヤマグチワールドからブックコスモスへ
 そのあとも青森まで山口先生といっしょに寺山修司のシンポジウムに行ったり、いろいろと貴重な体験をさせていただきました。ヤマグチワールドにどんどん入っていき、本の世界にも引きこまれていった時期でした。

 山口先生が中心となって、毎回多彩なゲスト講師を招いて開催された札幌大学北方文化フォーラムも欠かさず出席し、文化の中枢を担う人たちの講義を聞いていました。柳瀬尚紀さん、内田繁さん、宮内勝典さん、松岡正剛さん、秋山祐徳太子さん、原広司さん、西谷修さん、安彦良和さん、多和田葉子さん、ノーマ・フィールドさん、柏木博さん、田中泯さん、種村季弘さん、細江英公さん、巖谷國士さん、岡本敏子さん、管啓次郎さんなど、いま思いだせるだけでもこれだけの方がいらっしゃっていました。これがきっかけとなって出会った本もかぞえきれないほどあります。

 そして毎日のように札幌大学にある山口文庫──山口先生の蔵書6万冊を集めた文庫です──に入りびたり、お昼休みに山口ゼミにも参加し、夏休みにはゼミ合宿。本当にたのしい学びのときを過ごしました。このような勢いで毎日を過ごしていると、身の回りがいつのまにか書物で溢れかえります。いつしか本が名実ともに身近なものになっていきました。

古本屋たちあげの契機とは?
 こうした書物三昧の日々を送っていくなかで、「古本としての書物」が、にわかにわたしに迫ってくる出来事がありました。それは北方文化フォーラムに、評論家の坪内祐三さんと古書店「月の輪書林」の店主高橋徹さんが講演に来たときでした。そのとき高橋さんは緊張していたのか、坪内さんばかりが話を進める不思議な講演でした。次の日、山口先生と坪内さんと高橋さんとで、当時札幌駅のすぐ近くにあった「そごう」で開催されていた古本市に行きました。わたしにとっては生まれてはじめての古本市。張りつめた空気のなかで古本が売り買いされているさまは、まるで賭場にいるかのようでした。わたしはその雰囲気にすっかり舞いあがってしまいました。けれども山口先生、坪内さん、高橋さんにとっては主戦場です。百戦錬磨です。お目当ての本を、それこそ獲物をしとめるハンターのように射止めていきます。わたしも本を手にとりめくったりもするのですが、おもしろそうだとは思いつつも自信がありません。また元の位置に戻してしまう。あとになって喫茶店で「戦利品」を見せあうのですが、そのとき坪内さんが「君、この本に見覚えある?」と、先ほどわたしが手にしていた本を見せてきました。「はい、あります」とこたえると「この本は、コレコレこういう本で、なかなかいい本だったんだよ。きみが買わないから、結局はぼくが買ったんだけどねぇ」といわれてしまい、口惜しい思いもありながら、ほとほと感心してしまいました。

 わたしがもともと抱いていた古本への強い関心と憧れが引きがねとなってしまったのか、そのお話のときに衝動的に「ボクも将来古本屋さんになりたいです!」と宣言してしまいました。けれども坪内さんと高橋さんは、「わるいことはいわないから、それだけはやめたほうがいい!」という。喜んでくれると思っていたわたしはとても驚きました。しばらく経ってわたしは「みんなは、おもしろそうに本の世界でワイワイやっている。にもかかわらず、ボクがそれに加わろうとすると止めようとする。これにはなにかウラがあるに違いない。秘密にしなければならないほど、きっとこの世界はどんなにか楽しいにちがいない」(笑)と思うようになりました。そんな出来事があって、わたしはますます古本に惹かれていきます。いま思えばこのときの坪内さんと高橋さんとのやりとりが古本屋を生業とする大きな一歩となりました。こんなやりとりを山口先生はニコニコ微笑みながら見ていました。

書物と群島
 札幌大学でもうひとり大きく影響を受けた方がいました。今福龍太先生(現東京外国語大学大学院教授)です。わたしのなかであたらしい世界の扉がドドドッと音を立てて開かれていきました。今福先生の思想は、既成概念やステレオタイプな思いこみ、または虚飾やエゴみたいなものを脱ぎ捨てます。さまざまな社会状況に苦しむ人びとの文学をとおしていろいろ考えさせられもしました。「書物こそが人間の実存と歴史を真正面から受けとめる媒体だ」と強く思ったのを憶えています。

 今福先生は、わたしが大学を卒業した翌年(2002)から「奄美自由大学」をはじめました。これは奄美群島を巡って、島に生きる知恵を体感する移動学舎として、おおよそ年に一度開催されています。三回目の奄美自由大学のときです。奄美大島の網野子という集落での出来事でした。そこの海に面した広場で朗読会をおこなったことがありました。そのとき、わたしは手もちの古本を堤防に並べて露店の古本屋を開きました。すでにこのころには札幌の「伊藤書房」という古書店で独立を目指して修業をしはじめていました。自分の古本屋を奄美からスタートさせようと思ったんです。ただ本はものすごく重いですし、強い日ざしや水にも弱い。本と海と太陽……。一見するととても不釣りあいです。ですが、そのときなんとも気持ちのよい風がフワーッと流れてきたように感じました。会場にあった力石とガジュマルを囲んで聴こえる島口、そしてそのときゲストとしていらっしゃったトリン・T・ミンハさんと高良勉さんらの朗読の声、これらがとても本とマッチしていたのです。本にとっては過酷な環境であるにもかかわらず、本と太陽と海と風と声が、なぜこうも気持ち良く重なりあったのか……。これはいまもって分かりません。これからも本とかかわりながら生きていくわたしにとって、あの瞬間は謎であって、でもこれからの目標のようなものでもあって、夢みたいなものです。ああいった場をいつかつくりたいと思っています。

 
撮影:濱田康作

いよいよ「書肆吉成」が開店
 「書肆吉成」という名前は、詩人の吉増剛造先生につけていただきました。吉増先生は、年に一回、札幌大学に集中講義にきてくださっていました。わたしは大学を卒業してからもニセ学生(笑)として毎年聴講しつづけました。吉増先生は奄美自由大学にも毎回ゲストとして参加されていたので、札幌と奄美とで最低でも年に二回はお会いしていました。そんなあるとき、古本屋として独立したいと、先生に告げました。とても心配していただき、それだけでなく、さまざまなご助力もいただきました。これは本当に光栄なことで、尊敬する詩人に名前をつけていただいたのですから、名に恥じぬ店にしなくてはとわたしも必死です。大げさにいってしまえば、店の実態など問題ではなくて、むしろ「書肆吉成」という名前のなかにこそ本屋魂が宿っている! そうわたしは思っています。このご恩、いつかお返ししたいと思っています。

 店舗を札幌にかまえたのは2009年です。それまではネットでの販売を中心としていました。お店の広さは25坪で、だいたい4万冊を本棚にならべて販売しています。特徴的なのは、アイヌ関連や北方文化関連を多く取り揃えているところです。特におすすめするのは写真集・建築・書道に関する本で、在庫が豊富です。けれども基本的には専門化してお客様を限定したくないと思っています。それは本の広大な世界への入り口になりたいと思っているからです。来る本こばまずで、オールジャンルの本を取り扱っています。お客様は、ご近所の方よりも本を探し歩きまわったうえで弊店にたどり着かれる方が多いように感じます。みなさん、町の中心部から離れていて交通機関も不便な場所にある弊店まで、わざわざ足を運んでくださるんです。さながら本を探す旅人のような方ばかりです。本当はもっと街中に店を出したいのですが、経費を考えると足踏みしてしまいます。しばらくはこの場所で、在庫のさらなる充実をはかっていきたいです。売上げはまだまだネット販売依存型です。インターネットの世界は場所性がなくどこでも商売や情報発信ができるので、うまく利用しながら店舗と両立させていきたいと考えています。

 札幌市内の古本屋の状況はまことにかんばしくありません。昨年から今年にかけて、札幌市内の古本店舗が5つも閉まりました。いずれもネット専門に切り替えたのですが、一気に5店も減ったのはとてもショックでした。現在の人口が約190万人の札幌市で、大手量販店をのぞき、店舗をもつ古本屋はおおよそ20店、そのうち古書組合加盟店は15店です。まったくさびしい限りです。
 経費のかかる店舗を閉めてインターネット通販専門に切り替えるのは全国的な傾向です。店主の高齢化と、業界の先が読めない由の後継者不足やインターネットの普及が要因といわれています。逆にネット専門から実店舗を開店させるお店は少ないです。わたしは確信犯的に時代に逆行して店舗を開きました。どうしてもお客様と本がじかに接する場所を持ちたかったからです。
題字:吉増剛造

「アフンルパル通信」刊行のきっかけは?
 さて、わたしが古本屋のかたわら編集している「アフンルパル通信」も、じつは吉増剛造先生とのかかわりのなかから生れました(本当にお世話になりっぱなしで……)。札幌大学でおこなわれた吉増先生の講義のなかで、知里真志保『地名アイヌ語小辞典』の「アフンルパル」が紹介されているのを、たまたま聞いたのがきっかけでした。「アフンルパル」とは「あの世への入り口」という意味のアイヌ語地名で、登別(のぼりべつ)の蘭法華岬(らんぽっけみさき)のつけ根にあります。アイヌの人たちにとってタブー視されている穴で、近寄ってはならない神聖な場所とされています。このような大切な土地が北海道にあるということをはじめて知って、わたしは道産子ながら心底驚きました。雪どけをまって友人たちとその場を訪ねたりもしました。これが「アフンルパル通信」のはじまりです。創刊号には吉増先生が写真と詩をお寄せくださり、「書肆吉成」独立開業と同じ2007年4月に創刊することができました。

 「アフンルパル通信」は「旅」と「詩」と「本」をテーマにした冊子です。これまで詩人や映像作家、文学研究者、写真家などたくさんの方々からご寄稿いただきました。最近は道内外からも静かな注目を集めているようです。人にはよく「もっと北海道に拘りなさい」といわれます。けれどわたしは北海道発の冊子だからと言って北海道カラーを前面に押し出すことに興味はありません。もともと「北海道」は近代に作られました。北海道内外の人の移動や緊張関係があって形作られた土地なんです。ですから、この土地の内側だけを意識化するのでは不十分だと思っています。外からの視線、外との関係や応答を考慮しないと本当の「北海道」の姿は捉えられないと思っています。地元を特権化する北海道至上主義とは一線を引いて、二つの土地を移動する視点や人間の根源的な表現を、わたしなりに真摯に丁寧に編集することで、かえって「北海道発」を誇れるすばらしい冊子になる! そう思っているんです。


題字:吉増剛造
「アフンルパル通信」購読のお申し込みはメールかFAXにて書肆吉成まで。

 現在、増刊号を含め12号発行しています。次号は、11月10日発行予定で鋭意編集中です。今後はいっそうブックイベントや催事などにも参加して、本の楽しさや楽しみかたをお伝えしたいと思っています。「書肆吉成」をはじめて5年目。おかげさまでじょじょに活動の幅も広がってきました。

 最近、本の文化を引き継ぐことを意識しています。新刊や復刊ではまかなえない本や古地図・古資料を引き継ぐことができるのは、古書店とコレクターの関係があればこそです。今後はそんな社会的な役割もすこしずつ担っていければと思っています。


【書肆吉成】
065-0025北海道札幌市東区北25条東7丁目1-17
TEL:011-214-0972
FAX:011-214-0970
携帯:080-1860-1085
E-mail:yosinari01@gmail.com
営業時間:11:00〜19:00(日曜日12:00〜18:00)
URL:http://camenosima.com/

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