2012年12月26日水曜日

本学多磨駅側の掲示板に出版会情報を掲示!

この掲示板は、東京外国語大学の取り組みやイベントの告知など、本学の情報を広く地元住民に発信するためのものです。「本学が出版している書物を通じて、本学をより身近に感じてほしい」との考えから、この秋、出版会の新刊・既刊情報やニュースを掲示することになりました。

まず、最新刊行物として、11月に刊行した『中国近代史』の情報を掲示しています。現在の中国を取り巻く情況と、中国近現代史の理解に大きな光をあてる、古典的歴史書の翻訳です。

トピックスコーナーは、出版会のニュースがあるたびにその都度情報を更新していきます。現在は、毎年春に発行している読書冊子「pieria(ピエリア)」のPDF版ダウンロードのお知らせです。ダウンロードは、小会のホームページからできます。

 定期刊行物として、本学アジア・アフリカ言語文化研究所編集の雑誌『FIELD+(フィールドプラス)』を紹介しています。年に2回(1月・7月)発行しています。毎回ユニークな特集で世界各地の文化や情勢を魅力的に伝えています。

 「pieria(ピエリア)」とは、学生の読書推進を目的に毎年春に発行し、無料で配布している読書冊子です。学内はもとより学外からも好評をいただいています。ご興味のある方は、出版会にお問い合わせください。

刊行書籍の背表紙が刊行順に並んでいます(左)。簡単な内容紹介文とともに書誌情報が書かれた刊行リストも掲示しています(右)。刊行リストはここからダウンロードできます。

本学にお立ち寄りの際はぜひご覧ください。

(後藤亨真)

2012年12月6日木曜日

『中国近代史』刊行


装丁:大橋泉之
東京外国語大学出版会 2012年11月15日
四六判・上製・272頁・定価:2625円(本体2500円+税)
ISBN978-4-904575-22-2 C0022

このたび佐藤公彦先生(本学大学院総合国際学研究院教授)翻訳による、蒋廷黻著『中国近代史』を刊行しました。

本書は、中華民国の外交官としてソ連大使も務めた中国外交史研究のパイオニアである蒋廷黻氏が、アヘン戦争から抗日戦争初期までの歴史を生き生きと描いた古典的歴史書(初版1938年)です。また、現在の中国をとりまく情況と中国近現代史の理解に大きな光をあてる、いわば共産党の歴史観の陰に埋もれた“もうひとつ”の中国近代史でもあります。

巻末には、約50ページにもおよぶ佐藤先生による大変力のこもった解題「中国近現代史理解のパラダイム転換のために」が収録されています。ここには、本書の魅力の一つとしてこう書かれています。
われわれが本書を読んで、きわめて面白く感じるのは、清朝中国の権力や交渉の地位にあった者たちが当時どのように考えていたのか、どのように意見を述べたのか、何を感じていたのかが、たいへん的確で絶妙の文章で表現されており、実に生き生きとしているからである。この絶妙なニュアンスの捉えは中国人ならではのことで、外国人のわれわれには到底及ばない芸当なのである。ここには血の通った人間が描かれている。
折しも日中関係が問題化しつつあるなか、中国近現代史の理解に欠かせない本書を、ぜひ手にとってご覧ください。

■目次より:
小序(一九五九年 啓明書局版)
総論
第一章 剿夷と撫夷
第二章 洪秀全と曾国藩
第三章 自強とその失敗
第四章 分割と民族の復興
解題 中国近現代史理解のパラダイム転換のために 佐藤公彦

■著者紹介:
蒋廷黻(しょう ていふつ)
1895年生まれ。中華民国の歴史学者・外交官。1912年に17歳で渡米、パーク・アカデミー(ミズーリ州)、オーベリン・カレッジ(オハイオ州)を卒業。コロンビア大学大学院で歴史を学び、哲学博士の学位を取得。帰国後の1923年、天津の南開大学歴史学部教授、1929年に清華大学教授・歴史系主任に就任し、中国の外交史を中心とする近代史研究に従事。1935年、蒋介石行政院長下の政務処長に就任、ソ連大使、国際連合の中華民国代表、駐米大使等を歴任し、1965年にニューヨークで死去。

■訳者紹介:
佐藤公彦(さとう きみひこ)
1949年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。現在、東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。中国近代史専攻。著書に『義和団の起源とその運動──中国民衆ナショナリズムの誕生』(研文出版、1999年)、『「氷点」事件と歴史教科書論争──日本人学者が読み解く中国の歴史論争』(日本僑報社、2007年)、『清末のキリスト教と国際関係──太平天国から義和団・露清戦争、国民革命へ』(汲古書院、2010年)など。訳書にピーター・バーク『歴史学と社会理論 第二版』(慶應義塾大学出版会、2009年)、ジョナサン・D・スペンス『神の子 洪秀全──その太平天国の建設と滅亡』(同、2011年)などがある。

2012年11月22日木曜日

本学研究講義棟1階ガレリア展示スペースにて「ジョン・ケージ」展を開催中!



現在、本学の研究講義棟1階のガレリア展示スペースで、「ジョン・ケージ展 沈黙という名の書物」(企画:小川茉侑・安土紗生・今泉瑠衣子[以上今福ゼミ]・後藤亨真[本学出版会]、協力/資料提供:今福龍太先生)を開催しています。ジョン・ケージ(1912-92)は、アメリカの前衛的な音楽家であり、ユーモラスなキノコ研究家でもあります。そのジョン・ケージ生誕100年を記念して、本学の今福先生からケージの『SILENCE』初版版と50周年記念版、そして『M』や『X』など代表的な著作を多数お借りして展示しています。また、ケージに多大な影響を与えた19世紀の哲学者、詩人、ナチュラリストでもあったヘンリー・デイヴィッド・ソローの200万語にもおよぶ長大な日記が収められた貴重な書物も展示しています(展示書物は下記のリストをご参照ください)。ショーケースの右端にはケージの音楽が聴けるヘッドフォンも設置しています。

これらの展示物のあいだを繋ぐようにバランスよく配置されているプレートには、今福先生がジョン・ケージについて書いたテキスト(雑誌「考える人」No.41所収)の引用が印字されています。展示されている書物を見ながら、プレートに書かれたテキストを読むことによって、音楽家に留まらなかったジョン・ケージの思想家としての一面が、鮮明に見えはじめてきます。

12月下旬まで開催を予定していますので、まだご覧になっていない方はぜひ一度お立ち寄りください。





〈「ジョン・ケージ展 沈黙という名の書物」展示書物リスト〉
ケージのテキスト
John Cage. SILENCE. Wesleyan University Press, 1961
John Cage. SILENCE. 50the Anniversary Edition. Wesleyan University Press, 2011
John Cage. .
John Cage. .
ジョン・ケージ『サイレンス』柿沼敏江訳、水声社、1996
ジョン・ケージ『小鳥たちのために』青山マミ訳、青土社、1982
ジョン・ケージ『ジョン・ケージ著作選』小沼純一編、ちくま学芸文庫、2009

ケージに決定的影響を与えたテキスト
Henry David Thoreau. Journal. Dover
James Joyce. Finnegans Wake.
Aldous Huxley. The Perennial Philosophy.
鈴木大拙『禅に生きる』守屋友江編訳、ちくま学芸文庫、2012

その他のテキスト
「ユリイカ 特集*ジョン・ケージ 鳴り続ける〈音〉」青土社、2012.10

※ なお、ジョン・ケージに関わる以下の書物や雑誌は、本学の附属図書館に所蔵されています。ぜひご覧ください。
John Cage : suivi d'entretiens avec Daniel Caux et Jean-Yves Bosseur / Jean-Yves Bosseur
白石美雪『ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー』武蔵野美術大学出版局、2009
ジョン・ケージ『ジョン・ケージ著作選』小沼純一編、ちくま学芸文庫、2009
ポール・グリフィス『ジョン・ケージの音楽』堀内宏公訳、青土社、2003
庄野進『聴取の詩学──J・ケージからそしてJ・ケージへ』勁草書房、2002
「ユリイカ 特集*ジョン・ケージ 鳴り続ける〈音〉」青土社、2012.10

(後藤亨真)

2012年11月2日金曜日

秋の夜長におすすめの海外文学──キルメン・ウリベ著『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』(金子奈美訳)


厳しい暑さだった今年の夏も、去ってみればどこか寂しいものです。ついそんな憂愁に包まれがちな秋の夜長に、前回にひきつづき海外文学をご案内します。本日は、本学の金子奈美さん(本学大学院総合国際学研究科博士課程)が翻訳した、バスク文学の旗手キルメン・ウリベの処女小説『ビルバオ-ニューオーク-ビルバオ』をご紹介します。また、キルメン・ウリベ氏が本書刊行に合わせ、11月6日(火)に東京外国語大学で講演を行います。そのご案内も合わせてお知らせします。

著者:キルメン・ウリベ
翻訳:金子奈美
装丁:緒方修一
白水社 2012年10月30日発行
本体2400円・四六判・上製・232頁

まずは、まだ日本においてはなじみの薄いバスク地方やキルメン・ウリベ氏について、本書訳者が、あとがきに過不足なくそして意欲的に綴ったテキストがありますので、その助けを借りながらご紹介します。

バスクとは、スペイン北部とフランス南西部にまたがり、ピレネー山脈の最西端からビス湾に向かって広がる領域を指し示します。またそれと同時に「バスク語の話されるくに」という意味もあります。話者が70 万人に満たないバスク語は、その数の少なさに反して特別な魅力にみち、ヨーロッパ最古の言語のひとつともされ、その起源や言語系統はいまだに解明されていません。
著者キルメン・ウリベ氏は、このヨーロッパ大陸に慎ましくもしっかりとたたずむ、歴史深い言語を母語として語る新進気鋭の作家です。

彼は、1970年、スペイン・バスク自治州ビスカイア県の港町オンダロアに代々続く漁師の家で生まれました。高校までを過ごし感性を育んだこのオンダロアは、バスクでもっとも大きな都市ビルバオから車で一時間ほどのところにあるビスケー湾をのぞむ人口九千人弱の漁師の町です。
高校卒業後、ビルバオとビトリアにある大学で、バスク文学を学び、北イタリアにあるトレント大学で比較文学の修士号を取得します。バスクに戻ったあとは、新聞のコラムやテレビシナリオの執筆、翻訳などといった仕事にかかわりながら、映像の制作や詩集の執筆に携わります。

2001年に処女詩集『しばらくのあいだ私の手を握っていて』を上梓し、これがバスク文学における「静かな革命」と評され、スペイン批評家賞(バスク語詩部門)を獲得します。2003年には、詩の朗読と音楽と映像を組み合わせたCDブック『古すぎるし、小さすぎるかもしれないけれど』を刊行します。これらの詩集の国際的な反響をきっかけに、ニューヨーク、ベルリン、台北、マンチェスター、ボルドー、バルセロナ、アイルランドなどのポエトリー・フェスティバルに参加し、朗読会や講演を精力的に行いました。

そして2008年に、初めての小説となる『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』を出版し、翌年のスペイン国民小説賞に輝きます。これが大きな話題となり、スペイン国内の他の言語(スペイン語、カタルーニャ語、ガリシア語)やポルトガル語、フランス語にも翻訳され、すでに英語、ロシア語、ブルガリア語、グルジア語、アルバニア語での刊行も決まっているようです。

本書には、世界各地を旅し著者が経験した日常の風景と、これまで関わりのあった人々との記憶が、フィクションともノンフィクションともとれる筆致で瑞々しく描かれています。バスク語というフィルターを通して私たちに届けられるこれらの日常や記憶のなんと魅力的なことか! この本を手にとり、ページをめくり、テキストの流れに身をまかせれば、読む者はいつしかキルメン・ウリベの伴走者となって、自然に彼との旅路へ誘われていくことでしょう。

この作家は、世界中の講演や詩の朗読会にも積極的に参加する瞬発力と行動力とを持ち合わせ、訪れた地の聴衆を惹きつける語りの名手でもあるようです。そのキルメン・ウリベ氏が、来週11月6日(火)に東京外国語大学で講演を行います。バスク語での語りや朗読を日本で聴ける経験はそうありません。ましてやそれをキルメン・ウリベ氏本人から聴ける機会はまたとないでしょう。ご都合のつく方はぜひ足をお運びください。以下が講演の詳細です。

「バスク語から世界へ――作家キルメン・ウリベを迎えて」
日時:2012年11月6日(火)18:00〜19:45
会場:東京外国語大学 講義棟115教室
言語:日本語、スペイン語、バスク語(通訳付き)
※入場自由
構成(予定):
第一部 キルメン・ウリベ氏講演(バスク語による朗読も交えて)
第二部 鼎談
・キルメン・ウリベ
・今福龍太(本学総合国際学研究院教授)
・金子奈美(『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』翻訳者、本学大学院博士後期課程)
*詳しくはこちら

■ 本書帯文:
来るべき小説のために、キルメン・ウリベは心の窓を開け放つ。バスクの言葉と懐かしい人々の声が潮風とともに流れ込んだ瞬間、ひとつの世界が立ち上がるだろう。過去における未来を受け止めた、彼自身の現在のなかで。(堀江敏幸)

■著者紹介:
キルメン・ウリベ(Kirmen Uribe)
1970年、スペイン・バスク自治州ビスカイア県の港町オンダロアに生まれる。大学でバスク文学を学んだのち、北イタリアのトレント大学で比較文学の修士号を取得。2001年に処女詩集Bitartean beldu eskutik(『しばらくのあいだ私の手を握っていて』)を出版。バスク語詩における「静かな革命」と評され、スペイン批評家賞を受賞、英語版は米国ペンクラブの翻訳賞最終候補になる。世界各地のポエトリー・フェスティバルに参加し、朗読会や講演を精力的に行う。08年、初めての小説となる本書を発表し、スペイン国民小説賞を受賞、大きな話題を呼ぶ。スペイン国内の他の言語(スペイン語、カタルーニャ語、ガリシア語)のほか、世界8カ国での翻訳刊行が進んでいる。

■訳者紹介:
金子奈美(かねこ・なみ)
1984年、秋田県生まれ。東京外国語大学外国語学部(スペイン語専攻)卒業。同大学院修士課程修了。現在、東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士課程在籍。専門は、バスク地方および スペイン語圏の現代文学。

(後藤亨真)


2012年10月26日金曜日

秋の夜長におすすめの海外文学──アントニオ・タブッキ著『時は老いをいそぐ』(和田忠彦訳)


厳しい暑さにあきあきした夏もようやく終わり、夜半になると冷え込む季節がやってきました。そんな秋の夜長に、海外文学をゆっくり読んでみてはいかがでしょうか? 本日は、イタロ・カルヴィーノ、ウンベルト・エーコとならんで現代イタリアを代表する作家アントニオ・タブッキの晩年の作品『時は老いをいそぐ』をご紹介します。

著者:アントニオ・タブッキ
翻訳:和田忠彦
編集:島田和俊
装丁:名久井直子
河出書房新社  2012年2月28日
本体2200円・四六判・上製・224頁

タブッキは、今年の3月25日にリスボンで亡くなりました。この訃報に、世界中が彼の死を悼みました。日本でも「ユリイカ」(青土社、2012年6月号)で追悼号が編まれ、本学の和田忠彦先生が、タブッキの未翻訳作品を多数訳しています。また、タブッキ文学をこよなく愛する作家の堀江敏幸さんと和田先生との対談も掲載されています。

さて、この『時は老いをいそぐ』は、タブッキが2001年以来久しぶりに刊行した9つの短編からなる小説集です。和田先生の翻訳により、今年2月に河出書房新社から刊行されました。

本書の巻頭には、ギリシアの哲学者クリティアスのものとされる「影を追いかければ、時は老いをいそぐ」というエピグラフが、なぞかけのように配されています。このエピグラフが指し示すように、本書の読者は、時代や国や背景が異なるさまざまな登場人物の影のような郷愁を追いつづけます。それらの郷愁の舞台は、東ヨーロッパを中心とした近現代です。21世紀の日本に生きる私たちにとっては、かならずしも近しい存在ではなく、ましてやその郷愁には、暖かみがあり包み込んでくれるようなもの、といったステレオタイプなイメージもありません。ここで語られる郷愁は、弾圧であり、監視であり、侵略であり、嘘や妄想なのです。けれども、この本を読むことに不安を感じたり、敬遠したりする必要はありません。なぜなら、タブッキが『レクイエム』のなかで「文学がなすべきこととはまさしく「不安にすること」だとは思いませんか?」と語りかけたように、そもそも文学とは気持ちの良いものばかりではなく、私たちを不安にさせ、危険を感じさせ、面倒なことへと導くものでもあるからなのです。

「哲学は真理だけを相手にしているようにみえて、もしかしたら空想ばかり告げているのかもしれなくて、文学は空想にかまけてばかりいるようにみえて、もしかしたら真理を告げているのかもしれない」。これはタブッキの著書『他人まかせの自伝』(和田忠彦・花本知子訳、岩波書店)の訳者あとがきのなかで、タブッキがよく口にする物言いとして紹介されている言葉です。
タブッキの集大成ともいえる晩年の作品が、過酷な体験や苛烈な感情を描いた郷愁でした。そして彼自身、そうした文学の虚構性に絶対的な信頼をおいていて、そこにこそ真理はあるのではないか、とさえ言いました。
タブッキは、こうしたさまざまな「郷愁」に耳を澄ませ、静かなタッチで描くことによって、本質的な「時間」とは何かをここで問うているのかもしれません。

9つの物語に流れる特異な「郷愁」や「時間」のなかを漂いながら、秋の夜長に真理の探求へと誘われてみてはいかがでしょうか? 

■ 目次:

ポタ、ポト、ポッタン、ポットン
亡者を食卓に
将軍たちの再会
風に恋して
フェスティヴァル

ブカレストは昔のまま
いきちがい
謝辞
時の感情を書くことをめぐって(和田忠彦)

■著者紹介:
アントニオ・タブッキ
1943年イタリア・ピサ生まれ。イタリア語・ポルトガル語で小説や戯曲を執筆する現代イタリアを代表する作家。75年長編『イタリア広場』でデビュー。おもな小説に『逆さまゲーム』(81)、『島とクジラと女をめぐる断片』(83)、『インド夜想曲』(84)、『遠い水平線』(86)、『レクイエム』(91)、『夢のなかの夢』(92)、『供述によるとペレイラは……』(94、ヴィアレッジョ賞受賞)など、エッセイに『他人まかせの自伝──あとづけの詩学』(2002)などがある。2012年3月25日、リスボンにて亡くなった。

■訳者紹介:
和田忠彦(わだ・ただひこ)
1952年生まれ。東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。同大学副学長。専攻はイタリア近現代文学・文化芸術論。著書に『ヴェネツィア 水の夢』(筑摩書房)、『声、意味ではなく──わたしの翻訳論』(平凡社)、『ファシズム、そして』(水声社)など。おもな訳書に、A・タブッキ『他人まかせの自伝』(岩波書店)、『夢のなかの夢』(青土社)、『フェルナンド・ペソア最後の三日間』(青土社)、U・エーコ『カントとカモノハシ』(岩波書店)、『ウンベルト・エーコの文体練習』(新潮社)、I・カルヴィーノ『魔法の庭』(筑摩書房)、『むずかしい愛』(岩波書店)、『パロマー』(岩波書店)、『アメリカ講義』(岩波書店)など。

(後藤亨真)

2012年7月10日火曜日

マレーシア・プトラ大学出版会の関係者らご一行が本学出版会を訪れました


7月3日(火)、マレーシア・プトラ大学(Universiti Putra Malaysia)出版会、マレーシア・イスラーム科学大学(Universiti Sains Islam Malaysia)出版部、マレーシア翻訳・図書研究所(Institut Terjemahan & Buku Malaysia)、言語図書院(Dewan Bahasa dan Pustaka)の代表団ら7名が、本学出版会を訪れ、岩崎稔編集長、竹中龍太副編集長と懇談しました。


マレーシア・プトラ大学出版会の関係者らは、7月5日(木)から8日(日)まで開催の「東京国際ブックフェア」に合わせて来日されました。ご一行は、本学出版会への訪問も強く希望され、本学のファリダ・モハメド先生(マレー語教育/特定外国語教員)、左右田直規先生(マレーシア政治社会史/准教授)、野元裕樹先生(マレー語学/専任講師)のご尽力によってこのたびの会合が実現しました。


本学出版会の刊行書籍、また出版会の成り立ちや仕組みにも大変興味を示され、将来的な協力関係の可能性などについても活発な意見交換がなされました。

2012年7月4日水曜日

沖縄県那覇市「市場の古本屋 ウララ」──書肆探訪⑤


久しぶりのショシタンです。大変ご無沙汰しておりました。
前回取材した北の地札幌の「書肆吉成」から、今回は一気に南へ移動し、取材に訪れたのは那覇にあります「市場の古本屋 ウララ」です。
店主の宇田智子さんは、もともとジュンク堂書店の書店員でした。2009年4月、入社以来7年間勤められた池袋本店から、新規オープン間近の那覇店に自ら希望を出し異動され、2011年8月に10年ほど勤められたジュンク堂書店を退職されます。そして、その年の11月にひとりで開店されたのが、この「市場の古本屋 ウララ」です。
日本一大きな書店から、日本一小さな古本屋へと転身された宇田さんにいろいろとお話をうかがってきました。

────まず、そもそもなぜ沖縄への異動を自ら希望されたのでしょうか?

【宇田】ひとつは、店を一からつくってみたかったからです。池袋本店にいながら新規出店に関わる機会はたくさんあったのですが、いつも開店前だけ手伝って帰らなければならず、そのあとどうなったのかが気になっていました。
もうひとつは、神奈川に育ち、東京で働いて、他の地域をまったく知らなかったので、違うところに行ってみたかったんです。どうせなら遠くがいいなと思いました。
そして、沖縄県産本というものが質量ともにはかり知れず、これを地元で売れたらおもしろいだろうな、とあこがれていました。

────なるほど。ちなみに店名のウララにはどういった由来があるのですか?

【宇田】店の名前はギリギリまで決まりませんでした。漢字を組み合わせた名前や外国語の名前も考えましたが、パッと見て読めない、一回で聞き取れないのは困ると思って。市場のなかだからいろいろな人が通ります。誰でもすぐ覚えられるのがよかったんです。
周りのお店は「浦崎漬物店」とか「大城文子鰹節店」とか名前そのままなので、「宇田書店」にすれば? と言われました。せめてもうひとひねりと考えていたら、ふと「ウララ」が浮かびました。小学生のころに山本リンダの「狙いうち」を歌われてからかわれた思い出があるのですが、あえてそのトラウマを克服しようとも思いまして(笑)。

────なかなかステキな店名ですよ! さて、開店からはや8ヶ月。新刊書店での経験と古本屋での経験とでは、本を売るという点では同じであっても、その体験はまったく別物で、戸惑われたところもあったのではないでしょうか?

【宇田】本が売れても次にまた入るかどうかが分からない、というのが何よりツライです。これぞ! と思う本が売れたときはうれしい反面、「ああ、もう出会えないかもしれない」と悲しくもなります。

────では、これまでの古本屋経験で楽しかったことはありますか?

【宇田】自分の人間関係が棚に反映されるのがおもしろいです。新刊書店ではお客様からのご注文やお問い合せを参考に本を発注して棚をつくりますが、古本屋は「お客様の本」がそのまま並びます。要するに、お客様によって本屋が、そして書棚がつくられていくということです。やっていくうちにそうしたことに気がついていきました。
ですから、買取した本は、自分の趣味や興味に合わなかったとしても、できるだけお店に出すようにしています。たくさん古本屋があるなかで「ウララに売ろう」と決めてくださったということは、その本にはどこかしらウララの雰囲気に合うなにかがあるはずだと思っています。そうした本のなかには知人、友人、そしてジュンク堂書店時代の同僚が譲ってくれた本もあります。
古本の仕入れはお客様からの買取と業者の市が中心です。買取の依頼がそうたくさんあるわけではありませんし、買取や市で欲しい本が手に入るとも限りません。選り好みはしたくてもできないわけですが、そのことを前向きにとらえたいです。
だからこそ、私を取り巻くいろいろな人たちの本をたくさん置かせてもらって、一緒に「ウララ」をつくりたい。そう思っています。
「お客様が棚をつくる」とは新刊書店でもよく聞く言葉です。それは心構えとして教わる言葉でもあったのですが、古本屋の場合は物理的にそうなのです。お客様とのこうした接点、関係、感触が、いまとても新鮮でおもしろいです。

────ある分野に特化して古書を集める古本屋が多いなか、ウララが人との強い関係からお店や書棚を構成しているというのは、とてもおもしろいです。
そのほかにもなにか特色などありますか?

【宇田】まず、那覇の牧志公設市場の向かいにあるという点です。お土産を探す観光客もいれば、日々の食材を買い求めにいらっしゃる地元の方々もいます。そういった意味では他の本屋と比べて客層がちょっとかわっているかもしれません。
そうしたこととも関係しているのですが、二つ目の特色として沖縄本に力を入れています。
そして最後の三つ目がもっとも特徴的かもしれないのですが、日本でも一番(?)なくらいに狭いことです。店内が3畳で、路上にはみ出しているのが3畳分です。ですから棚も私も路面に出てしまっています。だからかもしれませんが、本を買う気のない人が、ふと立ち止まってくれることが多いです。

────本を買う気のない人がふと立ち寄ってくれる、というのは、世間話をしに、ということですか?

【宇田】いえ、本屋なので、本を見に。買う気のない人というより、買うつもりのなかった人ですね。食べ物を売っているなかに突然本屋があらわれるので、驚いてつい立ち止まる人が多いです。路面の棚には沖縄の本を置いているので、観光客も地元の方も興味をもって手にとり、もちろん買ってくださることもあります。なかには「今日は暑いね」と話しかけて通り過ぎていく方や「国際通りはどっちですか?」と聞いてくる方もいらっしゃいますが。
狭くて、沖縄にあって、人通りが多いという特殊な条件のもと、いまなんとか売上を立てています。当分はこの場所でがんばっていきますが、いつか限界が来るのか、とも思います。
とにかく狭いので、なんでもかんでも置いておくことができません。古本屋につきものの均一棚もなければ、豪華本を置けるようなスペースもないので、仕入れにもブレーキがかかることがあります。

────商い的には大変なところがたくさんあるかもしれません。けれども、ウララがもっている「狭い」「沖縄」「人の通りが多い」という特色は、じつは宇田さんもウスウス感じていらっしゃると思うのですが、そこには本屋としての可能性が潜んでいるのではないでしょうか。こうした制約や限度や限界があるからこそ、創造的な試みができるのだと思います。むしろまずはそこに立ち返ってみなければ何もはじまらない。
一見するとマイナスに見えるこの特色を逆手にとって、ぜひウララで存分に躍動していただきたいな、と思っています。そのためでしたら、私も微力ながら力をお貸しします。

【宇田】ありがとうございます。
沖縄の古書組合の市で出品されるのはほとんどが沖縄の本です。東京に行けばあらゆるジャンルの本が取引され、古文書や骨董のようなものも扱われているでしょう。いまとはまったく違う古書の世界があるのだと思います。だから正直なところ、私が古本屋を名乗るのははばかられます。

────それは、ウララは「古本屋」という枠組みでは簡単にくくることのできない可能性をもった「本屋」である、ということなのだと思います。
「古本屋」の多くは古書市などで自分のお店の傾向にあった本、あるいは売れそうな本などを店主の目利きによって仕入れますよね。そしてお店をドンドン個性的にし、他のお店との差別化をはかっていきます。こうした手法で、おもしろく、かつそれなりの売上げをあげるには、東京をはじめとした大都市のようにもともと仕入れ先が潤沢であることと、古本屋としての長年の経験に裏打ちされた眼力が必要です。「ウララ」はそうしたある意味で正当な古本屋経営の必須条件をもたず、心意気としてもその道を歩むことをよしとしないのであれば、この「古本屋」のキモでもある「仕入れ」に、「本屋」としての一計を案じてみなければならないかもしれません。

【宇田】たしかにそうですね。その「仕入れ」にも関係してくると思うのですが、すこし前から考えていたアイデアがありました。それは、「一箱古本市」(註1)に、以前後藤さんが前職でやってらした「三冊屋」(註2)というフェアの要素をすこし混ぜ合わせたような企画です。
まず、参加者から何かのテーマでセットにした三冊の本と、テーマと紹介文を書いたPOPカードを送ってもらいます。それを店の棚一列に並べて何週間か販売するというフェアです。古本屋のイベントといえば「一箱古本市」が有名ですが、このフェアは、その単位をもっと小さくしたバージョンです。「一箱古本市」だと店番をしなければなりませんし、なにより一箱分もの本を選び、売らなければなりません。このフェアだとその必要もありませんし、より参加しやすいのがいいと思いました。そしてPOPカードを添えることで、出品者の生の声が聞けるという点がよりおもしろいと思います。古本は価格設定が自由なので、新刊でやるよりはお手ごろな価格にできるという利点もあります。価格は出品者に決めてもらいたいと思っているので、1000円均一などもおもしろいかもしれませんね。

────なるほど、いいですね! これまでの古本屋にはなかった新しい仕入れ、見せ方、売り方に、お客様や読者とともに挑戦できますね。
こうしたアイデアが生まれた根底には、やはり「狭い」「沖縄」「人の通りが多い」といった古本屋としては恵まれてはいないかもしれない要因が、少なからずあったのだと思います。こうした要因をたまたまあった偶然から、積極的な必然へと転換できれば、ウララはよりおもしろく、よりらしくなっていくと思います。
やはりお客様や読者、つまり人との関係がウララを成り立たせているのですね。この大切な要素をいっそう育んでいくために、これからはイベントのようなものも織り交ぜ、人と本との間をドンドン繋いでいければいいですね。

【宇田】そうですね。いまの私は、本を媒介にした人とのかかわりに関心が向いているのだと思います。ですから、広い店に移り、従業員を使い、東京の業者とも渡り合いながら一人前の古本屋になりたい、という気持ちはいまのところありません。たとえ場所が変わり、もう少し広くなったとしても、商店街のなかの小さな本屋でいたいという気持ちです。

────あくまでも地元密着型の本屋ですね。私の知り合いで宇田さんもご存知の東京の清澄白河で「しまぶっく」という古本屋をやっている渡辺富士雄さんも同じようなことをモットーにされています。地元の読者との関係を大切にされています。
日本有数の大型店であるジュンク堂書店の那覇店で副店長までされた宇田さんが、いま対極にある小さな本屋さんを目指されている。この触れ幅はとてもおもしろいと思います。おそらくこのジュンクとウララの間には、先ほどのフェア企画のアイデアのほかにもたくさんの可能性が潜んでいると思います。宇田さんは人と本の間、ジュンクとウララの間を豊かに経験されているので、こうした体験をもとに、なにか書いてみたり、話してみたり、イベントを企画したり、ワークショップなどもしてみたり、といろいろチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

 【宇田】まずは小さなことからコツコツと、ではありませんが、通りがかった人が「探している本があるんだけど」と声をかけてくれて、ここになくても取り寄せて連絡をする、といったこともやっています。これは思った以上に頻繁にあります。インターネットが使えない方は、新刊書店で「品切れです」といわれたらその先どうしたらいいか途方に暮れてしまうようです。そういう人にも敷居の低い、便利な本屋でありたいです。

────本の便利屋さんですね。

【宇田】栃折久美子さんの『森有正先生のこと』(筑摩書房)を読むと、栃折さんは森有正の秘書でも恋人でもないのに、求めに応じて本を探したり、ときにはシャツや下着まで代わりに買いに行っています。本のタイトルや著者が多少まちがっていてもなんとなく見当をつけて見つけられる、ときには出版界の人脈を生かして多少の無理も通せる栃折さんを、森有正は心から信頼していたようです。これくらい細やかな本屋になれたら、というのがひとつの理想です。商売としての線引きは難しそうですが。

────たしかに商売としての線引きは難しそうです。商売といえば、店舗をもちながらネットでの販売もしている古本屋が多いと思います。宇田さんはアマゾンなどでのネット販売は検討されていますか?
そういったネットなどの力も借りつつ、ウララが沖縄と本にとっての玄関のようなものになっていけばいいですね。

【宇田】アマゾンにもじつは出品しています。ただ、店に出しにくいジャンルの本が中心で、家の在庫をさばくために利用している感じです。
沖縄本はそもそもアマゾンにデータが存在しないものがたくさんあります。いま沖縄の新刊書店で流通している本でさえもです。ジュンク堂にいたころはそういった本をドンドンジュンク堂のHPに登録していき、少しでも沖縄本の情報を県外に発信しようとがんばっていました。
ウララは在庫がそれほど豊富ではありませんし、店に来るお客様を最優先したいので、ネットは二の次になっています。ウララの本が見たければ沖縄に来てください、と言ったらえらそうに聞こえますけど、でも、普通のことですよね。
あとは、古本屋ではあっても出版社や著者の方とのつながりをもち、直に仕入れていきたいです。新刊の掛けは古本に比べて高く、私もたくさん売る力はないので、お互いに利益は薄いのですが、作り手と現在進行形で関わりながら本を売れるのはとても楽しいことです。小さい店だからこそお客様の目にとまるようにもできますし、いろいろな人とつながり、またつなげていけたらと思います。

────ウララのなかで宇田さんオススメの本や書棚がありましたら、お教えいただけますか?

【宇田】まずは、あちこちでしつこく言っていますが、花田英三さんの詩集『坊主』。東京にいたころ、出版社のボーダーインクのホームページを見たら、トップページに新刊として書影が載っていて、その帯のなかの詩にやられました。
沖縄に来てから、花田さんが参加されている「EKE」の同人の方と知り合って、集まりに顔を出させていただき、気がついたら私も同人になっていました。ウララ開店前には花田さんのお宅にうかがって著書を預からせていただいたり、歩くのが大変なのに店を見に来てくださったり、とてもお世話になっています。
詩集は書店では隅に追いやられがちですが、狭い店で大きく展開するとイヤでも目にとまるらしく、たまたま手に取った方が「おもしろいですね」と買ってくださったりします。花田英三を日本で一番売る本屋を自負しています。

次は若い人たちがつくっている地域情報誌「み~きゅるきゅる」。7号まで出ています。
開南、むつみ橋通り、牧志公設市場衣料部・雑貨部など、観光客は名前も知らずに通り過ぎるような場所を特集していて、生活感がとてもおもしろいんです。いままでは場所をテーマにしてきたのですが、次の8号で「ユッカヌヒー」という旧暦5月4日の玩具市の特集を組むことになり、私も調査に参加しています。
先日は糸満のハーレー(毎年旧暦5月4日に行われる海の恵みに感謝し航海の安全と豊漁を祈願する祭り)を見に行って、出店で売られているおもちゃを観察したり、通りがかったおじいさんに話を聞いたりしました。「EKE」も「み~きゅるきゅる」も、愛着をもって売るうちに、いつの間にか作る側に巻き込まれていました。ありがたいことです。

最後は「リトケイ」。離島経済新聞社がつくっている季刊タブロイド紙で、日本の有人離島のいろいろな情報が載っています。
ネットで発刊を知って気になっていたのですが、沖縄だけを扱っているわけでもないのでしばらく躊躇していました。でも、1部150円だしと思い切って入れてみたら、「飛ぶように」と言いたい感じで売れました。見た目がカラフルで手に取りやすいところがウララの店頭にとても合っていたんです。特に若い観光客は離島にすごく興味をもっているみたいで。
いま全国で地域に密着したミニコミやフリーペーパーがドンドン出てきていて、離島経済新聞社さんはそれをつなぐ活動をされていかれると期待しています。
小さい出版社と小さい本屋がそれぞれ島のように特色をもっていて、ドンドン結びついていけたらおもしろい。後藤さんも関わられている「本の島」(註3)を、目に見えるかたちにしてみたいです。

こういう質問をされて、古本ではなく新刊ばかり挙げてしまうのが古本屋としてダメなところだと思います。でも、今日のインタビューで後藤さんがコメントしてくださるのを聞いていたら、それでもいいのかなと思えてきました。本を書いている人やつくっている人がいて、売りたいのなら応援したい。最初から古本屋だったら目の前の本のことだけ考えたかもしれませんが、どうしても本のうしろにいる人のほうが気になってしまうんです。「市場の本屋」にしたほうがよかったのかも…。

────なるほど。では、「ウララ」の2店舗目は「市場の本屋」にしましょう(笑)。
おっと、日が陰ってきました。そろそろお酒がほしい時間ですね。2店舗目計画のとっておきの秘策は、泡盛片手に市場の方たち交えて練りましょうか。


註1:参加者がみかん箱サイズの箱に売りたい本を入れ、不忍ブックストリート内の協力店舗の前に並べて販売する青空古本市のこと。現在は、全国各地で「一箱古本市」という名で古本販売イベントが開催されている。
註2:「本は三冊で読む」を合い言葉に、本を三冊組み合わせ、そのセットをいくつも並べたイシス編集学校プロデュースのブックフェアのこと。
註3:編集者の故・津田新吾氏が、構想したインディペンデント・ブックレーベル「本の島」。その構想を、書物の書き手、作り手、売り手、読み手がそれぞれの場所で創造的に受け継いでいきながら、あたらしい出版文化のありかたを模索する共同プロジェクトのこと。


【市場の古本屋 ウララ】
900-0013 沖縄県那覇市牧志3-3-1
E-mail:urarabooks(a)gmail.com
営業時間:11:00-19:00(火曜日定休)
URL:http://urarabooks.ti-da.net/


(取材・文/後藤亨真)


2012年7月3日火曜日

「第19回東京国際ブックフェア」で本学出版会の書籍が展示されます


7月5日(木)から8日(日)の4日間にわたり(一般公開日は7日〜8日)、東京有明の東京ビックサイトで、「第19回東京国際ブックフェア」が開催されます。

「東京国際ブックフェア」は、世界25カ国800社が参加する本の見本市。版権取引や仕入れ取引が行われます。一般向けには、各社の特価販売コーナーもあります。また著名人によるセミナーも多数開催され、いま話題の「電子書籍」に関する展示もあり、「出版業界の今」がわかる展示会です。

このたび、本学出版会は大学出版部協会のご厚意によって、そのブースの一部で刊行書籍を展示させていただくことになりました(なお本学出版会の書籍は販売しておりません)。大学出版部協会のブース番号は「4-2」です。

ご来場の際は、どうぞお立ち寄りください。

2012年6月15日金曜日

外語大の先生の新刊をご紹介します


今年の2月から5月にかけて外語大の先生による著書、訳書が次々と出版されています。そのなかからいくつかの本をご紹介します。海外小説の翻訳書や日本の近現代史を扱ったもの、あるいは震災以降の複雑な問題意識を主題にしたものまで、注目される様々な本が刊行されています。

『津波の後の第一講』
編著:今福龍太/鵜飼哲
編集:清水野亜
岩波書店 2012年2月28日
本体2700円・四六版・上製・286頁
2011年3月11日を経て、不安、混乱、絶望……が心の隙間を埋めつくすなか、教員は、希望に胸を膨らませ教室の敷居をまたぐはずだった若者に、何を語ったのか。大震災の後の現実と大学の教室とがはじめて触れ合った瞬間の記録です。学びはじめる若者たちへ。大学講義をまとめたアンソロジーです。

『戦後部落解放運動史──永続革命の行方』
著者:友常勉
編集:阿部晴政
装丁:天野誠
河出書房新社 2012年4月30日
本体1300円・B6版・並製・232頁
かつて社会をゆるがした被差別部落民の闘いは、何を問いかけ、今の私たちに何を残したのか。戦後から現在にいたる「運動」「行政」「文化」などの各領域の経験を思想的に検証した、いまだ誰もなしえなかった果敢な試みです。

『ありえないことが現実になるとき──賢明な破局論にむけて』
著者:ジャン=ピエール・デュピュイ
訳者:桑田光平/本田貴久
編集:大山悦子
装丁:間村俊一
挿画:元田久治
筑摩書房 2012年5月10日
本体2800円・四六版・上製・240頁
3月11日以降、『ツナミの小形而上学』(岩波書店)や『チェルノブイリ ある科学哲学者の怒り』(明石書店)など、「カタストロフィ」を主題とした哲学者のデュピュイの著作が次々と翻訳されています。本書もそれに連なる一冊です。デュピュイは、私たちに必要なのは、近代産業社会が生みだし、今や無用の長物となった「リスク論」などではなく、「賢明な破局論」である、と本書のなかで語ります。また、経済的合理主義や道徳哲学を超えた、人類の消滅という大いなる破局を回避するための方法を、現代に生きる私たちに力強く提言します。

『カンボジアを知るための62章【第2版】』
編著:上田広美/岡田知子
装丁:明石書店デザイン室
明石書店 2012年5月10日
本体2000円・四六版・並製・428頁
「アンコール遺跡」「貧困」「戦争」……。画一的なイメージで語られることの多いカンボジア。本書はそうしたステレオタイプを覆す格好の入門書です。目覚ましい経済発展をとげ変化しつづける今のカンボジアを、多くの図版やコラムをまじえながら紹介します。

『ブラス・クーバスの死後の回想』
著者:マシャード・ジ・アシス
訳者:武田千香
編集:中町俊伸
装丁:木佐塔一郎
挿画:望月通陽
光文社 2012年5月20日
本体1314円・文庫判ソフト・576頁
ブラジル文学最高の文豪マシャード・ジ・アシス(1839-1908)。アメリカの批評家スーザン・ソンタグは、「19世紀の主要な作家の一人であり、ラテンアメリカ最高の作家だ」と彼を評しました。そのマシャードの主著が、武田先生渾身の新訳でいよいよ刊行です。

『女が嘘をつくとき』
著者:リュドミラ・ウリツカヤ
訳者:沼野恭子
編集:斎藤暁子
装丁:新潮社装幀部
挿画:平澤朋子
新潮社 2012年5月30日
本体1800円・四六版変型・222頁
男の虚栄や謀略に満ちた無用な「嘘」とは遠くかけ離れた、女の奥深く豊かで謎に満ちた「嘘」の数々。この他愛なくもみえる女の「嘘」は、不幸のなかを生きるための大切な術の一つのなのかもしれない……。本書は、現代ロシアで最も著名な女性作家による6編の連作短編集です。


2012年6月6日水曜日

本学研究講義棟1階ガレリア展示スペースにて
読書冊子pieria「外大生にすすめる本」展示を開催中!


この5月から、本学研究講義棟1階のガレリア展示スペースで、小会刊行の読書冊子「pieria(ピエリア)」で外大生向けに紹介されている約30セット(1セット3冊組み)の本のなかから、編集部が選んだ10セットを展示しています。



この10セットは、本学の教員、図書館職員、在学生がおすすめする本で、本学フランス語専攻3年の安土紗生さんがそれぞれの本をイメージしながらつくった手書きのポップとともに展示されています。
それでは、安土さんの華やかなポップをご覧いただきながら展示されている本を紹介します。










8月末までの開催を予定しています。本学講義棟1階のガレリアを通りかかった際は、ぜひご覧ください。このスペースで読書冊子「pieria 新しい世界との邂逅」も無料配布しています。まだお持ちでない方はぜひ手にとってお読みください。

2012年5月29日火曜日

国際シンポジウム「東アジア文化地図の共有に向けて」フォトレポート


5月25日(金)、本学本部管理棟2階の大会議室で、国際シンポジウム「東アジア文化地図の共有に向けて──感情記憶をどのように描くか」(共催:東アジア出版人会議/「近現代世界の自画像形成に作用する《集合的記憶》の学際的研究」(岩崎稔科研)/本学出版会)が、開催されました。これは、第13回東アジア出版人会議の一環として開かれた一般公開のシンポジウムです。


会場には、一般市民、研究者、外大生を含め100名以上が集まり、シンポジウムは岩崎稔氏(本学出版会編集長)の挨拶で幕を開けました。


その後、孫歌氏(中国社会科学院文学研究所研究員)による基調講演「われわれはなぜ東アジアを語るのか」が行われました。1)東アジアと呼ばれるカテゴリー、2)中国におけるアジア論の歴史的文脈とその方向性、3)日本と韓国における東アジア論のジレンマと課題、4)東アジア論の第一線に立つ朝鮮半島と沖縄、5)分断体制論と東アジア論が直面する難題、6)東アジアの出版人たちへの提案、などについて語られました。

孫歌氏の基調講演の後、各地域からの報告として、まず日本の龍澤武氏(前平凡社取締役編集局長)は、戦後の日本がどのように「原子炉」を受け入れてきたのかを、緻密に調べあげた文献の紹介とともに語りました。

台湾の林載爵氏(聯経出版社発行者兼編集長)は、台湾史を再構築するにあたっての複雑な経験を、映像や音声を駆使しながら語りました。

韓国の韓性峰氏(東アジア出版社代表)は、韓流の構造的また歴史的認識と東アジアの大衆文化の可能性について時おりユーモアを交えながら語りました。

中国の劉蘇里氏(万聖書園図書公司取締役)は、昨今中国で頻発している“新人”と呼ばれる若者の犯罪によって、露になりつつある大国の問題について語りました。

高橋哲哉氏

丸川哲史氏

高榮蘭氏

岩崎稔氏

それぞれの出版人による報告の後には、高橋哲哉氏(龍澤氏報告の後/東大教授)、丸川哲史氏(林氏報告の後/明大教授)、高榮蘭氏(韓氏報告の後/日大准教授)、岩崎稔氏(劉氏報告の後/東外大教授)による示唆に富んだコメントもなされました。


最後に、これまでの議論を包括するかたちで、薫秀玉氏(中国編集学会副会長)、金彦鎬氏(韓国・ハンギル社社長)、林慶澤氏(韓国・全北大学校教授)、加藤敬事氏(前みすず書房社長)、大塚信一氏(前岩波書店社長)によるラウンドテーブルが行われました。


(写真・文:後藤亨真)