2010年12月28日火曜日

小会の仕事納め



 先週で年内の授業がほぼ終わり、学生さんの姿はとんと見られなくなりました。学内はすっかり静まり返り、スズメやカラスの鳴き声や調布飛行場から飛びたつ飛行機の音がはっきりと聞こえます。今年が終わりつつあるのを実感します。小会も本日で仕事納めです。
 来年は、蒔かれた種が次つぎに芽吹くような躍進の年になりそうです。引きつづき当ブログを、当出版会をよろしくお願いいたします! それではみなさま良いお年を。


(K)

2010年12月22日水曜日

今井昭夫・岩崎稔編著『記憶の地層を掘る──アジアの植民地支配と戦争の語り方』刊行


 このたび、本学の今井昭夫先生、岩崎稔先生編著による『記憶の地層を掘る──アジアの植民地支配と戦争の語り方』が、御茶の水書房から刊行されました。

 本書は、本学海外事情研究所が1999年から2002年にかけて開催した「戦争の記憶」をテーマとするシンポジウム(「占領の記憶をどう描くか」、「ハリウッドではないベトナム戦争」)で発表された論考を中心に纏められています。

 このシンポジウムは、日本やオランダの「占領問題」や「戦争責任」などが扱われていたために、右翼の反感を買い、怒号も巻きおこるほどの荒れ模様だったようです。しかしながら開催することに強い意味を見いだし、またそれを理解した外語大の先生を中心とした支援者たちによって、会は無事終了します。そうした波乱に満ちた企ての中から、本書に収録した各論考は生まれました。

 シンポジウムから8年。本書に編まれた論考はいまだ風化せず、現代の日本に生きる私たちに切実に語りかけます。

編集:橋本育
御茶の水書房 2010年10月28日
本体2,600円 A5判・並製 本文272頁

■帯文より:
痛みに満ちた集合的記憶を、いま精緻にときほぐす
アジア太平洋戦争期の占領と、再植民地化、抵抗と独立戦争、内戦の解放──、積み重ねられた各層の記憶からの問いを、ポストコロニアルなリアリティとして考察する。

■本書「はじめに」より:
わたしたちは、東アジアや東南アジアという言葉で表される何がしかの(……)空間をわかったつもりでいる。(……)コロニアリズムの記憶、アジア太平洋戦争期の占領と再植民地化の記憶、抵抗と独立戦争の記憶、内戦と解放の記憶、そして内的分裂と創出される国民国家の記憶などなど──(……)。本書では、そうした「記憶—内—存在」とでもいうべきわたしたちのあり方を、東南アジアという空間における歴史的争点をめぐって、具体的に光をあてようとしたのである。

■目次:
Ⅰ 「敗者」と「勝者」の戦争の記憶──アメリカとベトナム
Ⅱ 記憶の地層に分け入る──ベトナム戦争文学の深層
Ⅲ 「南洋」における戦争と占領の記憶

■執筆者・訳者一覧(*は編者):
生井英孝(いくい・えいこう)共立女子大学教授
今井昭夫*(いまい・あきお)東京外国語大学大学院教授
朱建栄(しゅ・けんえい)東洋学園大学教授
平山陽洋(ひらやま・あきひろ)
北海道大学グローバルCOEプロジェクト学術研究員
バン・ヒョンソク(ばん・ひょんそく)作家、韓国・中央大学校教授
バオ・ニン(ばお・にん)作家
川口健一(かわぐち・けんいち)東京外国語大学大学院教授
岩崎稔*(いわさき・みのる)東京外国語大学大学院教授
レムコ・ラーベン(れむこ・らーべん)ユトレヒト大学准教授
青山亨(あおやま・とおる)東京外国語大学大学院教授
大久保由理(おおくぼ・ゆり)立教大学非常勤講師
中野聡(なかの・さとし)一橋大学教授

2010年12月7日火曜日

詩人の都──編集室だより①


 毎年11月20日前後に行われる外語祭(学園祭)が終わると、大学構内はすっかり冬の気配に包まれます。そんな年の瀬にお知らせを三つほど。

 まず、新刊が出ました。ジリアン・ビア著『未知へのフィールドワーク──ダーウィン以後の文化と科学』は、ダーウィンの『種の起源』に象徴されるように、19世紀から20世紀にかけてめざましい変貌を遂げた知的・思想的状況をふまえ、数々の学問分野における豊かな成果を丹念に渉猟しながら、人間の知識と経験の変容をさぐる研究論文集。本学の鈴木聡先生渾身の翻訳です。


 12月9日(木)には、毎年恒例の本学附属図書館公開講演会が開かれます。今年は詩人のアーサー・ビナードさんをお招きし、『もしも文字がなかったら──未知のことばをもとめて』という刺激的なテーマでお話しいただきます。ビナードさんは『日本の名詩、英語でおどる』(みすず書房・2007年)で、日本の近現代のすぐれた詩を英訳し、鑑賞を試みていますが、この本で取り上げられている26名の詩人のうち、3名が本学出身者なのです。すなわち、中原中也、石原吉郎、岩田宏。本学は詩人を育む学舎なのですね。

 ところで、ビナードさんは、この本のまえがきでこんな言葉を引用しています。
 The past is a foreign country: they do things differently there.
 「過去とは一種の外国だ。そこではみんな、様子もやり方も違う」

 これは、イギリスの作家L. P. ハートレーの小説『橋渡し』の冒頭の一節。なんとも感銘深い言葉ですが、すぐれた詩は私たちを時空を超えた異国に誘ってくれるようです。


 12月11日(土)には、本学総合文化研究所・出版会共催でシンポジウム「世界文学としての村上春樹」が開催されます。世界各地で多くの読者を魅了する村上春樹の文学は、世界文学としてどのように位置づけられるのか。日本・中国・ロシア・アメリカの国民的作家らとの比較を通して、春樹文学の世界観と魅力を捉え直します。

 師走の喧噪を離れ、本学で冬のひとときを過ごしてみませんか。

(R)

2010年12月6日月曜日

『未知へのフィールドワーク
  ──ダーウィン以後の文化と科学』刊行


装幀:気流舎図案室
東京外国語大学出版会 2010年12月6日
A5判・上製・528頁・定価:4410円(本体4200円+税)
ISBN978-4-904575-09-3 C0098


12月6日(月)、本学の鈴木聡先生翻訳によるジリアン・ビア『未知へのフィールドワーク──ダーウィン以後の文化と科学』が、小会から刊行されました。

ダーウィンが『種の起原』を書いた19世紀は、人類にとって知的・思想的にダイナミックな変革を遂げた時代でした。そのとき新たに生まれた科学的な知識や発見は、現代の私たちに多大な影響を与えています。この本は、その豊かな影響をダーウィンの思想を手がかりにたどり、21世紀の知の世界に開こうとする試みです。














■目次:
緒言
序論

Ⅰ ダーウィン的な出会い
第一章 ビーグル号上の四つの肉体
第二章 土着民は回帰し得るか
第三章 逆方向の旅
第四章 他者を代弁する
第五章 ダーウィンと言語理論の成長
第六章 失われた環の創出=捏造

Ⅱ 科学的著述における記述と引喩
第七章 発見の言語における記述の問題
第八章 翻訳か変形か
第九章 ヴィクトリア朝の科学的著述における譬え、専門化、文学的引喩

Ⅲ ヴィクトリア朝の物理学と未来
第十章 「太陽の死」
第十一章 ヘルムホルツ、ティンダル、ジェラード・マンリー・ホプキンズ
第十二章 読者の賭け
第十三章 波動理論とモダニズム文学の勃興

Ⅳ コーダ
第十四章 『四角が変じて円となる』、ならびにその他の奇妙な符号

訳者あとがき
人名索引

■著者紹介より:
ジリアン・ビア(Gillian Beer)
1935年、イングランド生まれ。オックスフォード大学で英文学を学んだのち、ロンドン大学、ケンブリッジ大学などで教鞭を執る。ブッカー賞の選考委員、 ケンブリッジ大学出版局の『19世紀文学・文化研究叢書』の編集主幹などを務める。著書には、本書のほか邦訳では『ダーウィンの衝撃』(渡部ちあき・松井優子訳、富山太佳夫解題、工作舎、1998年)がある 。

■訳者紹介より:
鈴木聡(すずき・あきら)
1957年、弘前市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科英語英文学専門課程修士課程修了。現在、東京外国語大学総合国際学研究院(言語文化部門)教授。 著書に『終末のヴィジョン──W・B・イェイツとヨーロッパ近代』(柏書房)、訳書にスピヴァック『文化としての他者』(共訳、紀伊國屋書店)、イーグルトン『美のイデオロギー』(共訳、同)などがある。

2010年12月2日木曜日

東京都江東区「しまぶっく」──書肆探訪②


 第2回目の書肆探訪は東京都江東区の地下鉄清澄白河駅にほど近い「しまぶっく」です。1回目に取材した「高美書店」とはうってかわって、今年の9月23日に開店したばかりの新しい書店です。いわゆる新刊書店ではなく、古書を中心に新刊の洋書や絵本、さらには雑貨も取り揃える古本屋さんです。

 店主は、昨年の9月まで青山ブックセンター(ABC)にお勤めになっていた渡辺富士雄(わたなべ・ふじお)さん。これまでたくさんのフェアを企画し、多くの読者の読書意欲をかき立て、時には挑発し、時には唸らせてきた名物書店員さんです。

 渡辺さんは早稲田大学卒業後、就職された専門学校が経営していた書店にお勤めになります。ここで書店の魅力に引き込まれます。けれども社内での人事異動にともない書店から離れることに。ところがいったん花開いてしまった書物への情熱はもうとどめようがありません。専門学校をすぐに退職。そして1987年にABCに入社。そのとき渡辺さんは27歳。本格的な書店員人生がここからスタートします。

 そこから10年間ABC六本木店にお勤めになりますが、いろいろな書店を見てみたくなったこともあり、97年ジュンク堂書店東京進出を機に転職。ジュンク堂書店池袋本店を経て、99年に大宮店初代店長に就任。しかし、ここでのお仕事は店長職ということもあり、書物や書棚や読者からはやや距離を置いた、職場管理の仕事が中心にならざるをえませんでした。直接自分の手で書棚を育てていく仕事がしたい、との強い思いがつのり、ジュンク堂書店を退職。東京ランダムウォーク神田店、赤坂店を経て、ABCに復職。2009年9月ABC六本木店退職後、1年間の準備期間を経て、2010年9月「しまぶっく」を開店されました。


 そんな「しまぶっく」を写真とともにご紹介します。

 もともと八百屋さんだったこともあり、間口がとても広く開放感があります。天気の良い日は、50円均一や100円均一の本箱が、歩道にたくさん並びます。

 入って左手の新刊の洋書や絵本のコーナーです。近くにインターナショナルスクールがあり、思いのほか売れています。来店されるお客さんは、小さな子どもからお年を召された方までとても幅広いです。週末は、観光客、地元のご家族連れでとても賑わいます。

 並んでいる本のジャンルは多岐にわたります。英米文学、フランス文学、イタリア文学、南米文学、世界中の文学作品があります。詩集のコーナーも充実しています。田村隆一さんの詩集が5、6冊あったのが印象的でした。ともかく充実の書目が並びます。この雰囲気はなかなかお伝えできませんので、お近くをお通りの際はぜひ実際にご覧になってください。

 ちなみにこの日私が購入したのは、『街場のメディア論』(内田樹著/光文社新書)、『デレック・ウォルコット詩集』(徳永暢三訳/小沢書店)、『ジョルジュ大尉の手帳』(ジャン・ルノワール著/野崎歓訳/青土社)、そして『フェルナンド・ペソア 最後の三日間』(アントニオ・タブッキ著/和田忠彦訳/青土社)でした。


 最後に、渡辺さんと2、30分ほどお話しをさせていただきました。その一部をここに掲載します。書店に対する渡辺さんのお考えが忌憚なく述べられています。

────今年になって電子書籍の波がより強く押し寄せてきていますが、どう思われますか?

【渡辺】 どうもこうもあれは本ではありません。ボクは本屋さんなので、電子書籍を今後どうしていこうなどとは、まったく考えていないです。電子書籍にかかわらず、電子的なもの──たとえばネットやブログやツイッターやフェイスブックなど──をそもそも重視していないんです。ブログやツイッターなどにかける時間より、自分は実際に本に触れながら書棚に向き合う時間を大切にしたい、と思っています。

────とはいえ今やどんな小さな書店でもブログのひとつやふたつ持っているものです。そこには何か特別なお考えがあるのですか?

【渡辺】 いろんなメディアが身近にあって、さまざまな発信方法がありますけど、本屋にとっての一番のメディアはお店そのものなんです。その中でも特に書棚です。一見すると本が並んでいるだけのように見えますが、サーッと一瞥してみてくださいよ。背表紙や装丁や本の並びから発せられる情報が豊饒なことにお気づきになると思います。そして手に取ってみてください。当然その本の厚みや重さを感じますね。この感触もとても大切なんです。さらに中身を見てみるとその情報は多様に分岐し、どんどん連関していきます。何か情報を発信する必要があるのであれば、この書棚からしていけばいいんです。
 書棚づくりは、ボクにとっても実験につぐ実験です。まだまだいろんな可能性があると思っています。書店員がここを追究していかないで、いったい誰がするのでしょう。ここをおろそかにしてしまっては本末転倒です。

────ほかに「しまぶっく」の特色はありますか?

【渡辺】 ふつう多くの古本屋がしているお客さんからの買い取りを一切していません。ネット販売もしていません。ブログもしていません。ツイッターもしていません。ホームページももっていません。あとイベントもしていません。とにかくボクは愚直に本を仕入れて、書棚に並べ、お客さんの目の前で売っていきたいんです。
 先ほどのお話にも通じますが、これは身体としての書店、書棚、書物を信じているからなんです。ボクのこういった考え方の奥底には、今福龍太さんが昨年書かれた『身体としての書物』(小会・2009年)が流れています。もちろんボクなりの勝手な解釈も入っていますが、この著作の本質をできるだけ実感し、実験し、実践していきたいんです。『身体としての書物』は、書店員にとってアイデアの宝庫ですよ。
 この前までウチにも一冊あったんだけど、売れてしまいました。まだ読んでいない方がいらっしゃったら、ぜひ手にとって読んでいただきたい。オススメの一冊です。

────ちょっと話は戻りますが、一般的な古書店はお客さんからの買い取りを重視しますよね。売ることよりもまず仕入れることが大変で大切だと言われています。お客さんから買い取りをしないで、どのように仕入れているのですか?

【渡辺】 神保町を中心に、近郊の古本屋に毎日のように通いセドリをしてきます

────毎日セドリですか!?

【渡辺】 はい。体力的にとてもつらいです。でもこれが本当に楽しいんですよ。毎日のように神保町に行ってセドリをしていると、まれに通りかかった書棚から風が吹いてくることがあるんです。その風が吹いてくるところを見てみるとだいたい良い本があるんです。ボクはこの風を、本の島から吹いてきた島風だと言っているんです(笑)。一冊一冊の本が小さな島のようなものです。そこから島風が吹いてきて、ボクの頬をスーッと撫でていくんです。その島々をあつめて群島書店をつくりたい。これがボクの夢です。この島風、電子書籍からはぜったいに吹いてきません!
 昨年の9月ころABC六本木店で、今福さんの『群島──世界論』(岩波書店・2008年)という本に触発されて、この本で取り扱われている書物を集められるだけ集めてフェアをしたことがありました。その時は、本と本との間に蝶の標本をちょっとおしゃれに並べたりもしました。これがボクにとってのABCでの最後のフェアでした。とても好評でした。いまから思えばこのフェアが、ボクの書店員としての第二のスタートでした。
 こうして「しまぶっく」を開店しているのも『群島──世界論』という書物との出会いと、あのフェアを開催しようと思いたった一瞬のひらめきがあったからだと思っています。この一冊の本と一瞬のひらめきに、とても感謝しています。


【しまぶっく】
住所:〒135-0022 東京都江東区三好2-13-2
TEL/FAX:03-6240-3262
営業時間:11:00〜20:00
定休日:月曜日
※地下鉄清澄白河駅A3出口を左に曲がり「清澄通り」を進みます。そして左手の「深川資料館通り商店街」に入ります。東京都現代美術館方向に3、4分進むと右手に間口の広い「しまぶっく」が見えてきます。駅から5分ほどです。

 次回の更新日は、年も押し迫った12月28日を予定しています。楽しみにお待ちください。
(K)

2010年11月22日月曜日

シンポジウム「世界文学としての村上春樹」を開催します


 12月11日(土)14時から、シンポジウム「世界文学としての村上春樹」を本学アゴラ・グローバルのプロメテウス・ホールで開催します(本学総合文化研究所・出版会共催)。
 いまや世界各地に多くの読者をもつ村上春樹の作品世界は、世界文学のなかで、世界文学として、どのように位置づけられるのか。春樹研究の最前線からその作品世界の魅力に迫ります


◆シンポジウム「世界文学としての村上春樹」
● 日 時:2010年12月11日(土) 14:00〜18:00
● 場 所:東京都府中市朝日町3-11-1 東京外国語大学
プロメテウス・ホール (西武多摩川線多磨駅下車すぐ)
● 入場料:無料(申込不要)

【 プログラム】
<報告>(14:00〜16:00)
司会:村尾誠一(東京外国語大学)
柴田勝二(東京外国語大学)「村上春樹と夏目漱石」
藤井省三(東京大学)「村上春樹と魯迅」
亀山郁夫(東京外国語大学学長)「村上春樹とドストエフスキー」
都甲幸治(早稲田大学)「村上春樹とドン・デリーロ」

<休憩>(16:00〜16:30)

<報告者による討議>(16:30〜18:00)
司会:加藤雄二(東京外国語大学)
「村上春樹と世界のいま」

【連絡先】
東京外国語大学総合文化研究所
■tel:042-330-5409 ■e-mail:ics@tufs.ac.jp

2010年11月19日金曜日

詩人、随筆家、翻訳家アーサー・ビナードさんの講演会を開催

 
 12月9日(木)16時30分から、アーサー・ビナードさんの講演会「もしも文字がなかったら──未知のことばをもとめて」(主催:本学附属図書館)を開催します。
 母語と日本語とのはざまに立つ詩人が、とっておきの物語を紹介しながら、その誕生の秘密と、ことばがもつ豊かな味わいと広がりについて語ります。


◆講演会「もしも文字がなかったら──未知のことばをもとめて」
● 日 時:
2010年12月9日(木) 16:30〜18:00
● 場 所:
東京都府中市朝日町3-11-1 東京外国語大学
プロメテウス・ホール (西武多摩川線多磨駅下車すぐ)
● 入場料:
無料(申込不要)
● アーサー・ビナード(Arthur Binard)さんプロフィール:
詩人・随筆家・翻訳家。1967年、アメリカ・ミシガン州生まれ。大学卒業後の1990年に来日、日本語での詩作や翻訳をはじめる。2001年、詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞を受賞。その他の詩集に『左右の安全』(集英社、山本健吉文学賞)、『ゴミの日』(理論社)、訳詩集に『日本の名詩、英語でおどる』(みすず書房)、『ガラガラヘビの味──アメリカ子ども詩集』(木坂涼との共編訳、岩波少年文庫)、エッセイ集に『日々の非常口』(新潮文庫)、『日本語ぽこりぽこり』(小学館、講談社エッセイ賞)、『出世ミミズ』、『空からきた魚』(ともに集英社文庫)、絵本に『くうきのかお』(福音館書店)、『はらのなかの はらっぱで』(フレーベル館)、『ここが家だ──ベンシャーンの第五福竜丸』(集英社、日本絵本賞)などがある。各地での講演活動のほか、文化放送のラジオ パーソナリティもつとめる。

【お問合せ先】
東京外国語大学附属図書館総務係
■TEL:042-330-5193 ■e-mail:tosho-soumu@tufs.ac.jp

2010年11月17日水曜日

『パンとペン──社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』──M編集長の読書日誌②


※11月17日、午後1時37分。
 黒岩比佐子さんが永眠されました。
 ご冥福をお祈りいたします。 

 黒岩比佐子著 
『パンとペン──社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』
 講談社
四六判・上製、446ページ、定価:2,520円(税込)


 パンは暮らし、ペンはもちろん言論である。それで売文とは耳障りだ。まして公然と生業にするとは、どうも人聞きはよろしくない。そんな風に感じるむきがあったとしても、本書を最後まで読んでみると、きっとこの言葉をめぐってまったく違った感受性があることに気がつくだろう。

 この本は、幸徳秋水、大杉栄とならんで、日本の初期社会主義にとって欠かすことができない存在であった堺利彦(1870~1933)の、それもなかなか個性的な評伝の試みである。著者は初期社会主義研究の本道に敬意を表し、その成果を軽やかに活用しながら、しかしそれとは違って、これまではあまり重視されてこなかった1910年の大逆事件からの約10年間の、「生き残った」ひとびとの生き方のほうに光を当てている。ちょうどこの「冬の時代」に、堺利彦は、幸徳秋水ら12名をでっちあげで殺害された憤怒と絶望を胸底に沈めて、あえて「売文社」を設立した。それを通じて祝辞や論文などの怪しげな代筆から各種の翻訳や編集までを引き受け、堺の天分であった文章力で縦横に言葉の宇宙を広げていくばかりでなく、志あって雌伏するひとびとにも居場所と仕事を作り出したのだ。これは、いま風にいえば、翻訳事務所と編集プロダクションとゴーストライターを兼ね備えたような、柔軟にして機動的な仕事場であり、しかもなお社会主義の精神の隠れた拠点であった。

 社員たちにはたえず尾行がつく。四六時中監視される。理不尽な迫害や無理解は、今日とは比べ物にならない。そんな時代に、堺の配慮と差配によって、命を狙われ窒息させられていた鬱屈する知性が、言葉の力でなんとか生き延びていく可能性が開けたのだった。だからといって、それは節を屈し、良心の核を放棄してしまうことではない。本当に時代におもねり、国家社会主義者になったようなひとびととは、あくまでも違う生き方である。著者の手で生き生きと描かれる社会主義者とかれらをとりまく群像は、「売文」がレッキとした抵抗であり、筋の通ったこの時代のなかでの闘い方であるのだということを教えてくれる。しかもそこには、なんとも言い表しようのないユーモアと諧謔がある。イデオロギー対立や内部対立がつきものの左派運動史に比べて、ここに描かれる社会主義者たちの姿のなんと魅力的で人間的なことだろう。

 書くこと、書き続けること、そのことのリズムと熱情が、特有の迫力をもち、多くのひとびとを勇気づけ、しかも同時に人間のありのままの実相を照らし出している。著者の目のつけどころはさすがである。売文社の活動を読み解くことによってこそ、社会主義者・堺利彦の特性と、かれがよりよき世界のための運動のすそ野と厚みをどのように維持し発展させようとしたのかが、実によく見えてくる。書くということは素晴らしい。おそらく本書は、その書くという営みの可能性に賭けてきた傑出した「物書き」である黒岩自身の生き方にも、そのまま重なってくるような自己確証の行為であったのだろうか。しっかりと心に残る本であった。
(M)

2010年11月15日月曜日

桂川潤さんの『本は物である──装丁という仕事』刊行


 今年度の前期に開講したリレー講義「日本の出版文化」では、名だたる出版人をお招きしました。そのゲスト講師としてご講義いただいた装丁家の桂川潤さんが、このたび『本は物である──装丁という仕事』を上梓されました。
 本書は、概念的な装丁論や実践的な装丁指南書に留まりません。そこには、プロの作家や編集者でさえもなかなか知り得ない本づくりの現場が詳細にレポートされています。また、桂川さんが十数年にわたる装丁家人生のなかで出会ったたくさんの人びとの仕事ぶりや考え方、そして忘れがたい思い出についても丁寧に語られています。そうした中から本書が導きだしたメッセージは極めてシンプルです。連日のように電子書籍にかかわる言葉が飛び交うなか、その答えは、あくまでも「本は物である」ということ……。
 参考文献として小会の『身体としての書物』(今福龍太/2009年)も紹介されています。装丁・挿画・写真・本文レイアウト、すべて桂川さんご自身が手がけられています。内容もさることながら造本がとても美しく、まずは手にとって、触れてほしい一冊です。

編集:田中由美子
装丁:桂川潤
新曜社 2010年10月28日
本体2,400円 A5判変型・角背上製 カラー口絵8頁 本文248頁
ISBN978-4-7885-1210-8
■ 帯文より:
「本」は生き残れるか?
本に命を吹き込む「装丁」という仕事
その過程から紡ぎ出された装丁論・仕事論にして出版文化論
電子時代にこそ求められる「本のかたち」を真摯に問う!

■ 本書「まえがき」より:
建築は住まう者を外界から守る「保護材」であるばかりでなく、住まう者の生き方を表出し、規定する。(……)装丁においても、デザインの独創性ばかりでなく、「住まう者(=テクスト)」を生かす機能性を両立させなければならないし、同時に、「保護材」としての確固とした構造(=造本)を考慮する必要もある。(……)現在、書籍電子化に伴って起こっている事態はどうだろう。紙やインキといった物質性、いわば“身体”を失ったテクストは、もはや装丁を必要としない。書籍電子化は、装丁家の存在理由を根本から揺るがす。

■目次:
第一章 装丁あれこれ──「物である本」を考える
第二章 本づくりの現場から──「吉村昭歴史小説集成」の製作過程
第三章 わたしが装丁家になったわけ
第四章 装丁は協働作業──さまざまな仕事から
第五章 かけがえのない一冊

■ 著者紹介:
桂川潤(かつらがわ・じゅん)
装丁家。1958年東京生まれ。立教大学大学院文学研究科修士課程修了。共著書に『人権とキリスト教』(明治学院大学キリスト教研究所=編、教文館、1993年)、共訳書に『民衆神学を語る』(安炳茂=著、新教出版社、1992年)。
(K)

2010年10月28日木曜日

長野県松本市「髙美書店」──書肆探訪①


 今回から「書肆探訪」がスタートします。外語大出版会のKが首都圏を中心に全国各地の書店に営業かたがたお邪魔し、書店員の方々のお話しをうかがいます。書店の特色、書棚に置かれている本やそのエピソードについて、写真を交えながら毎月レポートしていきます。


 第1回目は長野県松本市にある「髙美書店(たかみしょてん)」です。「髙美書店」の歴史はとても古く『江戸の読書熱』(鈴木俊幸著・平凡社)には、「信州松本の書林慶林堂髙美屋は、寛政九年(一七九七)の創業、代々書籍商を続け、二百年を過ぎた現在も創業時とほぼ同所で「髙美書店」を営んでいる」とあります。創業者の名は、髙美屋甚左衛門(たかみや・じんざえもん)。甚左衛門が創業する以前にも松本では書籍が流通していたようですが、かれほど長期間にわたって書籍を中心とした商売を続けた人間はいなかったようです。当時は書籍だけでなく紙、短冊、筆、墨、硯など文具全般の販売にもかかわり、信州松本にとって文化拠点のひとつであったと考えられます。長野県は、岩波書店の岩波茂雄、みすず書房の小尾俊人、筑摩書房の古田晃をはじめとした多くの出版人を生んでいます。何を隠そう小会スタッフのRの出身地でもあります。出版人を数多く輩出し、書物文化が根付いていった背景には「髙美書店」のような存在があったことは想像に難くありません。

 それでは「髙美書店」の写真を交えながらご紹介します。

 「髙美書店」の入口です。10年ほど前にこのあたり一帯は区画整理され、それにともない「髙美書店」も縮小、立て替えを余儀なくされました。けれども「店書美髙」と書かれた看板には、いまも十分にその歴史が感じられます。


 「髙美書店」の隣には古い蔵があります。その2階がギャラリーのスペースとなっています。
 屋根の中央を太い柱が貫いています。店主の髙美泰浩さんによると、この柱は蔵創建当時のものでおそらく百数十年前のものではないか、とのこと。実物の柱は写真で見るよりもかなり重厚で迫力があります。


 60坪ほどの店内を見渡し、まず最初に驚かされるのが岩波文庫、岩波現代文庫、岩波新書の充実ぶりです。書棚をよくよく見てみると品切重版未定になっていたはずのエリオットの『文芸批評論』(岩波文庫・2006年41刷)が! まだまだ掘り出し物がたくさんありそうです。その他、みすず書房、青土社、工作舎、未來社、勁草書房など人文書を数多く刊行している出版社が目につきます。しかし、残念なことに小会の本は見つからず。髙美さんにぜひ置いていただくようお願いいたしました。
 「髙美書店」は出版活動もおこなっており、『一九が町にやってきた──江戸時代松本の町人文化』(鈴木俊幸著・髙美書店)が入口左手の棚にありました。その棚には他にも郷土本がたくさん並んでいます。なかでも観光客に一番人気があるのが、信州を愛する大人の月刊誌「KURA」(まちなみカントリープレス)。地方の月刊誌とは思えないほど内容が充実しています。


 人文書が売れないと言われています。それは地方都市の本屋さんではなおさらのこと。けれども「髙美書店」には多くの優れた人文書が置いてあります。それは頼もしくあると同時に、驚きでもあります。
髙美さんのおっしゃっていた言葉が印象的でした。
 「近くの大型書店との差別化をはかるという意味合いもあるけど、何より良い本を売っていきたい、という思いが強いです。松本で岩波書店やみすず書房や青土社を置いているのはウチくらいでしょう。でも、最近は書棚に入れたいと思う本がだんだん少なくなってきたように感じています」。

【髙美書店】
住所:  長野県松本市中央2-2-6
電話:  0263-32-0250
営業時間:10時〜19時
定休日: 年中無休
※松本駅の近くにあるパルコの細い小道をはさんだ向かい側にあります。駅から歩いて5分ほどです。お近くをお通りの際はぜひお訪ねください。


次回の「書肆探訪」は、11月末を予定しています。楽しみにお待ちください。

(K)

2010年10月20日水曜日

本学講師 友常勉さんの『脱構成的叛乱 吉本隆明、中上健次、ジャ・ジャンクー』刊行


 このたび、本学国際日本研究センター専任講師の友常勉さんの新著『脱構成的叛乱 吉本隆明、中上健次、ジャ・ジャンクー』が以文社より刊行されました。本書は、『現代思想』(青土社)をはじめとした各種媒体に書きためられた2001年から09年までの論考を、大幅に加筆改稿し纏めたものです。友常さん渾身の一冊です。

編集:前瀬宗祐
装幀:市川衣梨
以文社 2010年10月15日
本体 3,200円 四六判上製312頁
ISBN978-4-7531-0282-2

■帯文より:
民衆的な想像力による表現(=脱構成的叛乱)を、私たちはいかにして感知しうるのか? 吉本の〈表出論〉や中上の〈文学的企て〉、ジャ・ジャンクーの〈映画=政治的実践〉の試行をとおしてその相貌を精緻に追及した、民衆思想/芸術論の新たなる展開! 私たちの時代の〈疲労〉と〈歓喜〉。

 
■本書「序文」より:
本書は(……)具体的な民衆(被差別部落・中国民衆・農民)の〈叛乱〉についての記述を試みている。(……)〈叛乱〉は、「闘争の偶然」に従っており、「逆転するさまざまな力」、「奪い取られる権力」であり、かならずしも強くはなく、それどころか弱く、卑怯で、「自身に毒を与える支配」、「仮面をつけた別の支配」でさえある。(……)〈叛乱〉はひとつの方向をめざすわけではない。また、常に〈構成的〉であるわけでもない。

■目次:

序文

Ⅰ 吉本隆明の表出=抵抗論
 表出と抵抗──吉本隆明〈表出〉論についての省察

 〈意志〉の思考──一九七八年、ミシェル・フーコーと吉本隆明の対話
 『論註と喩』──反転=革命の弁証法
Ⅱ 中上健次と部落問題
 中上健次と戦後部落問題
 「路地」とポルノグラフティの生理学的政治
Ⅲ アジアの民衆表象
 アジア全体に現れている疲労という感覚──賈樟柯『長江哀歌』の映像言語
 震災経験の〈拡張〉に向けて
 街道の悪徒たち──『国道二〇号線』の空間論と習俗論
Ⅳ 農民論
 ある想念の系譜──鹿島開発と柳町光男『さらば愛しき大地』
 一九三〇年代農村再編とリアリズム論争──久保栄と伊藤貞助の作品を中心に

■著者紹介:
友常勉(ともつね・つとむ)
1964年生まれ。法政大学文学部卒業、東京外国語大学博士後期課程中退、博士(学術)。日本思想史。厦門大学外文学院講師、東京外国語大学非常勤講師などを経て、現在、東京外国語大学国際日本研究センター専任講師。著作に『始原と反復──本居宣長における言葉という問題』(三元社、2007年)。


(K)

2010年10月1日金曜日

『藤田省三セレクション』
  ──M編集長の読書日誌①



市村弘正編『藤田省三セレクション』
平凡社ライブラリー
HL判、440ページ、定価1,680円(税込) 


 平凡社ライブラリーに加わった『藤田省三セレクション』を読んで、あらためてこの戦後啓蒙の鬼っ子の思想に感心した。編者である市村弘正の選択も心憎い。
 冒頭に置かれている「天皇制国家の支配原理 序章」(初出は1956年)は、一読して「超国家主義の論理と心理」の丸山眞男の、だから正真正銘の近代主義のスタンスそのものだなあ、と思う。「厖大なる非人格的機構としての官僚制の、膨大なる人格支配の連鎖体系への埋没、客観的権限の主観的恣意への同一化、「善意の汚職」と「誠実なる専横」、かくて天皇制官僚制は、近代的なそれから全く逸脱してゆくのである」という結論は、この時点の藤田が天皇制国家の問題を、近代そのものの問題として考える回路を持っていなかったことを示している。
 ところが、かれがすごいところは、そこから「或る喪失の経験──隠れん坊の精神史」(81年)あたりを経て、近代に対するさらに深い疑念や絶望にぐんぐん降りていくことである。だから丸山シューレの「鬼っ子」と呼びたいのだ。「或る喪失の経験」のなかの「隠れん坊」や「おとぎ話」の読解には、今から見ると、80年代ポストモダンとして囃された文化人類学の記号論の影響がはっきりと見てとれる。それが、戦後の喪失について考察する際に、あるべき近代とその逸脱という近代主義的二項対立ではない想像力にまで飛躍させたのかもしれない。また、なによりそれが、転向という知識人のドラマ(「理論人の形成──転向論前史」)や、左翼ラディカリズムの突出と独善(「「プロレタリア民主主義」の原型──レーニンの思想構造」)よりも、戦後精神史にもっと強い規定力を持った高度経済成長の消費文化を、正面から思想の問題として思索するように、藤田に強いたのかもしれない。そこから、「「安楽」への全体主義──充実を取り戻すべく」(85年)という瞠目すべき問いが可能になったのだ。現在の新自由主義状況について正面から思索しようとするためには、反グローバリズムの新しい議論もさることながら、すでに80年代から「新重商主義」という概念で資本による文化的、思想的な浸食の動態を考えてきたこの読書人の仕事に立ち戻ってみることも大切だ。

(M)

出版会HPを更新しました

10/1、ブログの船出とともに出版会のHPも少しリニューアルいたしました。

出版会について」に、

1)岩崎稔編集長(本学教授)から出版理念、
2)岩崎務編集委員(本学教授)から小会の叢書や読書冊子の名前になっている「ピエリア」についての由来、

を寄せていただきました。

ぜひご覧ください。

(K)

東京外国語大学出版会のブログが船出します!

本日から、東京外国語大学出版会のブログがスタートしました。
編集部から、本と日常の汀から生まれる色とりどりの大波小波を、随時お届けします。

よろしくお願いいたします。

(K)