2012年10月26日金曜日

秋の夜長におすすめの海外文学──アントニオ・タブッキ著『時は老いをいそぐ』(和田忠彦訳)


厳しい暑さにあきあきした夏もようやく終わり、夜半になると冷え込む季節がやってきました。そんな秋の夜長に、海外文学をゆっくり読んでみてはいかがでしょうか? 本日は、イタロ・カルヴィーノ、ウンベルト・エーコとならんで現代イタリアを代表する作家アントニオ・タブッキの晩年の作品『時は老いをいそぐ』をご紹介します。

著者:アントニオ・タブッキ
翻訳:和田忠彦
編集:島田和俊
装丁:名久井直子
河出書房新社  2012年2月28日
本体2200円・四六判・上製・224頁

タブッキは、今年の3月25日にリスボンで亡くなりました。この訃報に、世界中が彼の死を悼みました。日本でも「ユリイカ」(青土社、2012年6月号)で追悼号が編まれ、本学の和田忠彦先生が、タブッキの未翻訳作品を多数訳しています。また、タブッキ文学をこよなく愛する作家の堀江敏幸さんと和田先生との対談も掲載されています。

さて、この『時は老いをいそぐ』は、タブッキが2001年以来久しぶりに刊行した9つの短編からなる小説集です。和田先生の翻訳により、今年2月に河出書房新社から刊行されました。

本書の巻頭には、ギリシアの哲学者クリティアスのものとされる「影を追いかければ、時は老いをいそぐ」というエピグラフが、なぞかけのように配されています。このエピグラフが指し示すように、本書の読者は、時代や国や背景が異なるさまざまな登場人物の影のような郷愁を追いつづけます。それらの郷愁の舞台は、東ヨーロッパを中心とした近現代です。21世紀の日本に生きる私たちにとっては、かならずしも近しい存在ではなく、ましてやその郷愁には、暖かみがあり包み込んでくれるようなもの、といったステレオタイプなイメージもありません。ここで語られる郷愁は、弾圧であり、監視であり、侵略であり、嘘や妄想なのです。けれども、この本を読むことに不安を感じたり、敬遠したりする必要はありません。なぜなら、タブッキが『レクイエム』のなかで「文学がなすべきこととはまさしく「不安にすること」だとは思いませんか?」と語りかけたように、そもそも文学とは気持ちの良いものばかりではなく、私たちを不安にさせ、危険を感じさせ、面倒なことへと導くものでもあるからなのです。

「哲学は真理だけを相手にしているようにみえて、もしかしたら空想ばかり告げているのかもしれなくて、文学は空想にかまけてばかりいるようにみえて、もしかしたら真理を告げているのかもしれない」。これはタブッキの著書『他人まかせの自伝』(和田忠彦・花本知子訳、岩波書店)の訳者あとがきのなかで、タブッキがよく口にする物言いとして紹介されている言葉です。
タブッキの集大成ともいえる晩年の作品が、過酷な体験や苛烈な感情を描いた郷愁でした。そして彼自身、そうした文学の虚構性に絶対的な信頼をおいていて、そこにこそ真理はあるのではないか、とさえ言いました。
タブッキは、こうしたさまざまな「郷愁」に耳を澄ませ、静かなタッチで描くことによって、本質的な「時間」とは何かをここで問うているのかもしれません。

9つの物語に流れる特異な「郷愁」や「時間」のなかを漂いながら、秋の夜長に真理の探求へと誘われてみてはいかがでしょうか? 

■ 目次:

ポタ、ポト、ポッタン、ポットン
亡者を食卓に
将軍たちの再会
風に恋して
フェスティヴァル

ブカレストは昔のまま
いきちがい
謝辞
時の感情を書くことをめぐって(和田忠彦)

■著者紹介:
アントニオ・タブッキ
1943年イタリア・ピサ生まれ。イタリア語・ポルトガル語で小説や戯曲を執筆する現代イタリアを代表する作家。75年長編『イタリア広場』でデビュー。おもな小説に『逆さまゲーム』(81)、『島とクジラと女をめぐる断片』(83)、『インド夜想曲』(84)、『遠い水平線』(86)、『レクイエム』(91)、『夢のなかの夢』(92)、『供述によるとペレイラは……』(94、ヴィアレッジョ賞受賞)など、エッセイに『他人まかせの自伝──あとづけの詩学』(2002)などがある。2012年3月25日、リスボンにて亡くなった。

■訳者紹介:
和田忠彦(わだ・ただひこ)
1952年生まれ。東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。同大学副学長。専攻はイタリア近現代文学・文化芸術論。著書に『ヴェネツィア 水の夢』(筑摩書房)、『声、意味ではなく──わたしの翻訳論』(平凡社)、『ファシズム、そして』(水声社)など。おもな訳書に、A・タブッキ『他人まかせの自伝』(岩波書店)、『夢のなかの夢』(青土社)、『フェルナンド・ペソア最後の三日間』(青土社)、U・エーコ『カントとカモノハシ』(岩波書店)、『ウンベルト・エーコの文体練習』(新潮社)、I・カルヴィーノ『魔法の庭』(筑摩書房)、『むずかしい愛』(岩波書店)、『パロマー』(岩波書店)、『アメリカ講義』(岩波書店)など。

(後藤亨真)