2010年11月22日月曜日

シンポジウム「世界文学としての村上春樹」を開催します


 12月11日(土)14時から、シンポジウム「世界文学としての村上春樹」を本学アゴラ・グローバルのプロメテウス・ホールで開催します(本学総合文化研究所・出版会共催)。
 いまや世界各地に多くの読者をもつ村上春樹の作品世界は、世界文学のなかで、世界文学として、どのように位置づけられるのか。春樹研究の最前線からその作品世界の魅力に迫ります


◆シンポジウム「世界文学としての村上春樹」
● 日 時:2010年12月11日(土) 14:00〜18:00
● 場 所:東京都府中市朝日町3-11-1 東京外国語大学
プロメテウス・ホール (西武多摩川線多磨駅下車すぐ)
● 入場料:無料(申込不要)

【 プログラム】
<報告>(14:00〜16:00)
司会:村尾誠一(東京外国語大学)
柴田勝二(東京外国語大学)「村上春樹と夏目漱石」
藤井省三(東京大学)「村上春樹と魯迅」
亀山郁夫(東京外国語大学学長)「村上春樹とドストエフスキー」
都甲幸治(早稲田大学)「村上春樹とドン・デリーロ」

<休憩>(16:00〜16:30)

<報告者による討議>(16:30〜18:00)
司会:加藤雄二(東京外国語大学)
「村上春樹と世界のいま」

【連絡先】
東京外国語大学総合文化研究所
■tel:042-330-5409 ■e-mail:ics@tufs.ac.jp

2010年11月19日金曜日

詩人、随筆家、翻訳家アーサー・ビナードさんの講演会を開催

 
 12月9日(木)16時30分から、アーサー・ビナードさんの講演会「もしも文字がなかったら──未知のことばをもとめて」(主催:本学附属図書館)を開催します。
 母語と日本語とのはざまに立つ詩人が、とっておきの物語を紹介しながら、その誕生の秘密と、ことばがもつ豊かな味わいと広がりについて語ります。


◆講演会「もしも文字がなかったら──未知のことばをもとめて」
● 日 時:
2010年12月9日(木) 16:30〜18:00
● 場 所:
東京都府中市朝日町3-11-1 東京外国語大学
プロメテウス・ホール (西武多摩川線多磨駅下車すぐ)
● 入場料:
無料(申込不要)
● アーサー・ビナード(Arthur Binard)さんプロフィール:
詩人・随筆家・翻訳家。1967年、アメリカ・ミシガン州生まれ。大学卒業後の1990年に来日、日本語での詩作や翻訳をはじめる。2001年、詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞を受賞。その他の詩集に『左右の安全』(集英社、山本健吉文学賞)、『ゴミの日』(理論社)、訳詩集に『日本の名詩、英語でおどる』(みすず書房)、『ガラガラヘビの味──アメリカ子ども詩集』(木坂涼との共編訳、岩波少年文庫)、エッセイ集に『日々の非常口』(新潮文庫)、『日本語ぽこりぽこり』(小学館、講談社エッセイ賞)、『出世ミミズ』、『空からきた魚』(ともに集英社文庫)、絵本に『くうきのかお』(福音館書店)、『はらのなかの はらっぱで』(フレーベル館)、『ここが家だ──ベンシャーンの第五福竜丸』(集英社、日本絵本賞)などがある。各地での講演活動のほか、文化放送のラジオ パーソナリティもつとめる。

【お問合せ先】
東京外国語大学附属図書館総務係
■TEL:042-330-5193 ■e-mail:tosho-soumu@tufs.ac.jp

2010年11月17日水曜日

『パンとペン──社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』──M編集長の読書日誌②


※11月17日、午後1時37分。
 黒岩比佐子さんが永眠されました。
 ご冥福をお祈りいたします。 

 黒岩比佐子著 
『パンとペン──社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』
 講談社
四六判・上製、446ページ、定価:2,520円(税込)


 パンは暮らし、ペンはもちろん言論である。それで売文とは耳障りだ。まして公然と生業にするとは、どうも人聞きはよろしくない。そんな風に感じるむきがあったとしても、本書を最後まで読んでみると、きっとこの言葉をめぐってまったく違った感受性があることに気がつくだろう。

 この本は、幸徳秋水、大杉栄とならんで、日本の初期社会主義にとって欠かすことができない存在であった堺利彦(1870~1933)の、それもなかなか個性的な評伝の試みである。著者は初期社会主義研究の本道に敬意を表し、その成果を軽やかに活用しながら、しかしそれとは違って、これまではあまり重視されてこなかった1910年の大逆事件からの約10年間の、「生き残った」ひとびとの生き方のほうに光を当てている。ちょうどこの「冬の時代」に、堺利彦は、幸徳秋水ら12名をでっちあげで殺害された憤怒と絶望を胸底に沈めて、あえて「売文社」を設立した。それを通じて祝辞や論文などの怪しげな代筆から各種の翻訳や編集までを引き受け、堺の天分であった文章力で縦横に言葉の宇宙を広げていくばかりでなく、志あって雌伏するひとびとにも居場所と仕事を作り出したのだ。これは、いま風にいえば、翻訳事務所と編集プロダクションとゴーストライターを兼ね備えたような、柔軟にして機動的な仕事場であり、しかもなお社会主義の精神の隠れた拠点であった。

 社員たちにはたえず尾行がつく。四六時中監視される。理不尽な迫害や無理解は、今日とは比べ物にならない。そんな時代に、堺の配慮と差配によって、命を狙われ窒息させられていた鬱屈する知性が、言葉の力でなんとか生き延びていく可能性が開けたのだった。だからといって、それは節を屈し、良心の核を放棄してしまうことではない。本当に時代におもねり、国家社会主義者になったようなひとびととは、あくまでも違う生き方である。著者の手で生き生きと描かれる社会主義者とかれらをとりまく群像は、「売文」がレッキとした抵抗であり、筋の通ったこの時代のなかでの闘い方であるのだということを教えてくれる。しかもそこには、なんとも言い表しようのないユーモアと諧謔がある。イデオロギー対立や内部対立がつきものの左派運動史に比べて、ここに描かれる社会主義者たちの姿のなんと魅力的で人間的なことだろう。

 書くこと、書き続けること、そのことのリズムと熱情が、特有の迫力をもち、多くのひとびとを勇気づけ、しかも同時に人間のありのままの実相を照らし出している。著者の目のつけどころはさすがである。売文社の活動を読み解くことによってこそ、社会主義者・堺利彦の特性と、かれがよりよき世界のための運動のすそ野と厚みをどのように維持し発展させようとしたのかが、実によく見えてくる。書くということは素晴らしい。おそらく本書は、その書くという営みの可能性に賭けてきた傑出した「物書き」である黒岩自身の生き方にも、そのまま重なってくるような自己確証の行為であったのだろうか。しっかりと心に残る本であった。
(M)

2010年11月15日月曜日

桂川潤さんの『本は物である──装丁という仕事』刊行


 今年度の前期に開講したリレー講義「日本の出版文化」では、名だたる出版人をお招きしました。そのゲスト講師としてご講義いただいた装丁家の桂川潤さんが、このたび『本は物である──装丁という仕事』を上梓されました。
 本書は、概念的な装丁論や実践的な装丁指南書に留まりません。そこには、プロの作家や編集者でさえもなかなか知り得ない本づくりの現場が詳細にレポートされています。また、桂川さんが十数年にわたる装丁家人生のなかで出会ったたくさんの人びとの仕事ぶりや考え方、そして忘れがたい思い出についても丁寧に語られています。そうした中から本書が導きだしたメッセージは極めてシンプルです。連日のように電子書籍にかかわる言葉が飛び交うなか、その答えは、あくまでも「本は物である」ということ……。
 参考文献として小会の『身体としての書物』(今福龍太/2009年)も紹介されています。装丁・挿画・写真・本文レイアウト、すべて桂川さんご自身が手がけられています。内容もさることながら造本がとても美しく、まずは手にとって、触れてほしい一冊です。

編集:田中由美子
装丁:桂川潤
新曜社 2010年10月28日
本体2,400円 A5判変型・角背上製 カラー口絵8頁 本文248頁
ISBN978-4-7885-1210-8
■ 帯文より:
「本」は生き残れるか?
本に命を吹き込む「装丁」という仕事
その過程から紡ぎ出された装丁論・仕事論にして出版文化論
電子時代にこそ求められる「本のかたち」を真摯に問う!

■ 本書「まえがき」より:
建築は住まう者を外界から守る「保護材」であるばかりでなく、住まう者の生き方を表出し、規定する。(……)装丁においても、デザインの独創性ばかりでなく、「住まう者(=テクスト)」を生かす機能性を両立させなければならないし、同時に、「保護材」としての確固とした構造(=造本)を考慮する必要もある。(……)現在、書籍電子化に伴って起こっている事態はどうだろう。紙やインキといった物質性、いわば“身体”を失ったテクストは、もはや装丁を必要としない。書籍電子化は、装丁家の存在理由を根本から揺るがす。

■目次:
第一章 装丁あれこれ──「物である本」を考える
第二章 本づくりの現場から──「吉村昭歴史小説集成」の製作過程
第三章 わたしが装丁家になったわけ
第四章 装丁は協働作業──さまざまな仕事から
第五章 かけがえのない一冊

■ 著者紹介:
桂川潤(かつらがわ・じゅん)
装丁家。1958年東京生まれ。立教大学大学院文学研究科修士課程修了。共著書に『人権とキリスト教』(明治学院大学キリスト教研究所=編、教文館、1993年)、共訳書に『民衆神学を語る』(安炳茂=著、新教出版社、1992年)。
(K)